中国の長江(揚子江)は、古来より内陸交通の大動脈で、特にアヘン戦争以降は、列強各国の格好の進出拠点となりました。
日本が長江航路に参入したのは日清戦争の後で、日露戦争の後には英・独・仏・清の7社に日本の4社(大東新利洋行、大阪商船、湖南汽船、日本郵船)が加わり、11社が競合する状態でした。
明治政府は、外国汽船会社との対抗と、日系4社の共倒れを危惧し、渋沢栄一を指名して統合を進め、明治40(1907)年3月25日に国策会社「日清汽船」を設立しました。
その「日清汽船」の上海〜漢口航路の最大船として就航していたのが、昭和4(1929)年に江南造船廠(中国)で建造された河川用貨客船「洛陽丸」(4,378総トン・垂線間長100.5メートル)でした。
「洛陽丸」は、大きさのみならず、速力、艤装、船内設備等のあらゆる面で競合他社を凌駕し、「長江の女王」と呼ばれるようになりました。

船舶模型「河川用貨客船「洛陽丸」(1/100)」
寸法:1112×200×335
所蔵:船の科学館
しかし、その栄光は長くは続きませんでした。
昭和6(1931)年の満州事変、続く昭和12(1937)年の支那事変(日中戦争)の勃発により、敵対する中国軍の水路封鎖で運航休止を余儀なくされ、さらに中国軍機から空爆を受けて「洛陽丸」を含む6隻が沈没し、短い生涯を閉じました。

船舶模型「河川用貨客船「洛陽丸」(1/100)」
寸法:1112×200×335
所蔵:船の科学館
本日のブログでご紹介した船舶模型は、籾山艦船模型製作所(株)の籾山作次郎氏が制作した竣工模型で、戦前は東京・原宿にあった「海軍館」に展示されていました。
浅喫水の船体が巧みに再現され、細部の仕上げも精緻で、芸術品の名にふさわしい出来栄えになっています。
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