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今日の海の日

北前船等の海運支えた木造洋式灯台「旧福浦灯台」は、昭和40年3月17日に石川県指定文化財に指定

能登半島のほぼ真ん中にある「福浦港(ふくらこう)」(石川県志賀町)は、深い入江に囲まれた天然の良港として、古くから栄えてきました。
奈良時代には渤海航路の渡航地として、江戸時代には北海道から大阪を結ぶ西廻り航路の中継地、北前船などの寄港地として栄えました。

港近くには、船乗りたちが空模様(日和)や風向きを観察し、出航を判断したことから「日和山(ひよりやま)」と呼ばれる台地があり、昭和40(1965)年3月17日に石川県指定文化財に指定された現存する日本最古の木造洋式灯台「旧福浦灯台」(高さ5メートル)が、海を見守っています。

旧福浦灯台AC.jpg

写真「旧福浦灯台」
出典:写真AC

さて、福浦灯台の始まりは、慶長13(1608)年に、住人の日野長兵衛が自船の安全を図るため、日和山の断崖上に篝火を焚いたことが最初とされています。
以来、日野家11代目が元禄5(1692)年に燈明堂を建て、17代目が明治9(1876)年に木造の「旧福浦灯台」を建て(明治38(1905)年に木造四角形・高さ5メートルに再建)、代々日野家によって灯火が守られてきました。

その後、昭和25(1950)年に海上保安庁に移管され、昭和59(1984)年に現在の「福浦灯台」に建て替えられ、白塔形コンクリート造(灯高15.23メートル)、海面上280.06メートルの高さから約29キロメートル(約15.5海里)まで光を放ち、航行の安全を守っています。

福浦灯台.jpg

写真「福浦灯台」
出典:写真AC

ところで、江戸時代の福浦港に寄港していた「北前船」とは、どのような船だったのでしょうか。

「北前船」は、中世末期から江戸時代中期までは、日本海海運の主役として活躍していた「北国船」が代表的な船型でした。
「北国船」は岩礁の多い日本海沿岸を航海するのに適した頑丈な船体構造を持っていましたが、帆走性能は低く、順風の時以外は櫂を漕いで走るため、乗組員を多く乗せておく必要がありました。

北国船.jpg

絵画「約600石積の北国船」
作:谷井建三
寸法:700×1,000
所蔵:船の科学館

やがて、17世紀末から帆走専用船に発達していた瀬戸内海の「弁財船」の進出におされ、日本海地域でも、18世紀中期以降は北国船に代わって「弁財船」が主力になり、弁財船がそのまま「北前船」と呼ばれるようになりました。

当館が所蔵する船舶模型「北前船」は、奥津媛神社奉納板図に基づき、日本海事史学会 石井謙治氏監修のもと、船型科学研究所で制作していますが、北前型弁才船の多くは、船首尾が大きく反り上り、荷物を積む胴の間の幅を広くした船型が特徴です。

弁財船模型.jpg

船舶模型「北前船 (1/20)」
寸法:1500×1100×1430
監修:石井謙治氏
所蔵:船の科学館

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投稿者:メル カテゴリー:灯台・建築物 コメント:0

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