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今日の海の日

オーストラリア航路の国産豪華客船「日光丸」が、明治39年3月3日に初出航

日本郵船がオーストラリア航路用に新造した貨客船「日光丸」は、三菱長崎造船所に発注され、日露戦争直前の明治36(1903)年12月26日に竣工しましたが、戦争のため海軍に徴用され、本来のオーストラリア航路に就航したのは2年余り経った明治39(1906)年3月3日からでした。
当時最大の主機が搭載された「日光丸」は、明治39年3月3日に横浜港を出港し、4月4日にシドニーに到着しています。

日光丸写真(上野文庫).jpg

写真「貨客船 日光丸」
所蔵:船の科学館

「日光丸」は、船橋楼上短艇甲板に船長室・航海士室があり、1等客室は船体中央部、2等は船尾部、3等は第2甲板の前・後部に配置されていました。

そして、1等公室の室内装飾に、日本の伝統的な工芸技術が採用されていたことが知られているように、「日光丸」は1・2等の旅客設備に主眼が置かれていました。 遊歩甲板の最前部に1等社交室、仕切りを隔てて1等食堂(ダイニングサロン)がありました。

次の写真では、1等食堂の様子を見ることができますが、船長室後方の吹き抜けから光が取り入れられ、9人掛けテーブルでは洋食料理が提供されました。
ちなみに、2等食堂は20人用と5人用のテーブルが配置されて洋食の食事、3等は食堂がなく箱詰弁当を客室で食べたそうです。

また、オーストラリア航路は熱帯海域を航行するので、「日光丸」の客室エリアには、電動送風機で温度と湿度を調節した空気を送り込む「サーモタンク式冷暖房」が搭載されていました。

日光丸(ダイニング).jpg

写真「日光丸の1等食堂」
所蔵:船の科学館

その後、オーストラリア航路は貨物主体の航路に変貌し、「日光丸」は昭和3(1928)年から大阪〜青島線に配船されました。
昭和14(1939)年には東亜海運へ現物出資され、太平洋戦争中は船舶運営会の使用船として就航しましたが、昭和20(1945)年4月に山東半島沖でアメリカ潜水艦の雷撃を受けて沈没し、42年の生涯を閉じました。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0

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