万博史上、初めて四方を海で囲まれた会場で開催された「EXPO2025大阪・関西万博」も間もなく閉会を迎えますが、各国パビリオンや建築物、グルメ等を楽しまれた方もいらっしゃるかと思います。
今日のブログでは、万博会場(夢洲)近くの「天保山」にあった、幻の洋式灯台「天保山灯台」をご紹介したいと思います。
さて、標高4.53メートルの「天保山」は、江戸幕府の命によって造られた「人工の山」であることをご存じでしょうか。
大阪湾から市中に入る安治川は、江戸幕府5代将軍 徳川綱吉の命で開削され、大坂の水運の拠点でしたが、当時は上流から土砂が流れ込み、水運確保と洪水防止のために、頻繁に土砂の浚渫が必要でした。
天保2(1831)年には、2年の歳月をかけて大規模な浚渫が行われ、その時に出た土砂が積み上げられてできたのが「天保山」で、海岸沿いには航行の目印として高灯篭が設置されていました。

錦絵「諸国名所百景 大坂天保山」
作:歌川広重(2代)
出版:安政6(1859)年
寸法:363×244
所蔵:船の科学館
嘉永7(1854)年には、開国を求めるロシア使節プチャーチン提督が、軍艦ディアナ号で大坂に来航し、天保山沖に投錨したことを機に、幕府は大坂市中や京都御所を守衛するには大坂湾岸の防備が重要と考え、天保山は削られ海防のための砲台(台場)が築造されました。
その後、開国へ向かった日本は、慶応2(1866)年にアメリカ・イギリス・フランス・オランダと「江戸条約」を結び、航路標識の設置が義務付けられると、西洋式灯台の建設が始まり、天保山台場には白色木造の洋式灯台「天保山灯台」が建設され、明治5(1872)年10月1日に初点灯しました。
「天保山灯台」は、“日本の灯台の父”と称されるリチャード・ヘンリー・ブラントンが手がけた26基の灯台のなかで、11番目に点灯した灯台でした。

錦絵「坂府新名所 天保山灯台」
作:長谷川貞信(2代・1848-1940)
寸法:180×240
所蔵:船の科学館
次の絵葉書では、明治27(1894)年に改築された「天保山灯台」を見ることができますが、灯台は平成18(2006)年に撤去され、現在はその姿を見ることはできません。

絵葉書「大阪天保山」
寸法:89×140
所蔵:船の科学館
現在の天保山は、天保山公園にあり、日本で一番低い山として知られ、周辺は水族館や商業施設が集まる観光拠点になっています。

出典:写真AC
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