昭和13(1938)年2月16日に、ソビエト連邦(現・ロシア連邦)向け耐氷型貨物船として進水した「ボロチャエベツ」(後の初代南極観測船「宗谷」)は、同年6月10日に「地領丸(ちりょうまる)」と名前を変えて竣工しました。
竣工当時は、貨物船として中国各地で雑貨を運んだり、函館を基地にカニ工場を結ぶ航路に就いたりしていましたが、昭和14(1939)年11月に、「地領丸」の耐氷性能に注目していた海軍に買い上げが決まり、測量業務を主体とする「特務艦」への改造工事が始まりました。
そして、改造工事が順調に進むなか、翌15(1940)年2月20日には、船名が「宗谷」に変更されました。
日本海軍に所属する艦艇には命名の基準があり、艦艇の名前に「丸」をつけないこと、特務艦の名前には海峡名を用いることが習わしになっていたことから、北海道最北端の宗谷海峡にちなんで、「宗谷」と命名されています。
イラスト「特務艦「宗谷」」
所蔵:船の科学館
耐氷型貨物船「地領丸」の時代は、船体は鮮やかな若草色に塗装され、黒い煙突の中央には赤白の辰南商船の煙突マークが描かれていましたが、特務艦「宗谷」の船体は灰色に塗装されました。
そして、8センチ単装高角砲1門と25ミリ連装機銃1基が武装され、測量用の海軍制式の音響測深儀や10メートル測量艇2隻(定数4隻)、測深儀室・製図室・測量作業室などが装備されています。
特務艦「宗谷」が昭和15年6月4日に完成すると直ちに横須賀に入港し、整備と補給を行い、数日後、北方での測量業務に従事するため青森県・大湊に向かいました。
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