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日本の近代化を支えた小菅修船場(通称ソロバンドック)は、明治元年12月6日に竣工

江戸時代に唯一の海外貿易の窓口であった長崎にある「小菅修船場(こすげしゅうせんじょう)」は、日本で最初の洋式スリップ・ドックとして、幕末に着工され明治元年12月6日(1869年1月18日)に竣工しました。

「小菅修船場」は通称ソロバンドックと呼ばれる斜路形式の船架で、小さな入江の斜面に敷設されたレールの上を、蒸気機関で台車(船台)の上に乗せた船を引き揚げる仕組みになっていました。

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「小菅修船場」 出展:写真AC

ところで、この造船所を計画・推進したのは、幕府ではなく薩摩藩でした。
当時の薩摩藩は既に軍艦・蒸気船・帆船を所有し、修理施設を求めていたのです。

中心で動いたのは家老・小松帯刀と欧州視察から帰った五代才助(友厚)でしたが、イギリスの貿易商人グラバーの一部出資と機材調達の協力によって完成しました。
船架は長さ37メートル、幅8メートルで、500トン前後の船の修理が行われたそうです。

斜面中央には当時のレールが現存し、平屋の建物は現存する最古の煉瓦建物で、こんにゃく煉瓦が採用されています。また、建物内にはグラバーがイギリスから輸入した蒸気式巻揚機が現存しており、歴史的価値が極めて高いドックとして保存されています。

ようやく完成した修船場は、わずか3ヶ月後の明治2年3月2日(1869年4月13日)に明治政府がグラバーから買い取り、明治20(1887)年6月7日に長崎造船所(現・三菱重工業(株)長崎造船所)に払い下げられました。
三菱のオーナー岩崎弥太郎は、造船所を横浜から長崎に移して、造船業に全力を注ごうとしたのです。

その後、次第に稼働率が落ち、大正10(1921)年以降は休止状態になりましたが、それまでの間、およそ1千隻の修理が行われたと言われています。

「小菅修船場」は、史跡名勝天然記念物世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つに指定され、日本の造船の歴史を後世に伝えています。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0

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