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日米修好通商条約批准のための随伴艦「咸臨丸」、37日間の航海を終え安政7年2月26日にサンフランシスコ港に到着。

日米修好通商条約批准のための外交使節の随伴艦となった「咸臨丸」は、安政7年1月19日に浦賀を出港してから37日間をかけて太平洋を横断し、安政7年2月26日(1860年3月17日)午後1時に、サンフランシスコ港に無事到着しました。

咸臨丸は入港5時間前の朝8時から汽走に移り、入港時には、メインマストに中黒長旗(幕府水軍御船手組の旗)、船尾ミズンマストのガフブームには日章旗、船首バウスプリット上には木村提督の家紋「丸に松皮菱」の旗が掲げられました。
下のイラストは、サンフランシスコ入港を目指す咸臨丸の晴れ姿が描かれています。

咸臨丸起走時イラスト.jpg

絵画「咸臨丸汽走時の精密側面イラスト」
作:西村慶明
寸法:305×465
所蔵:船の科学館

咸臨丸の入港は、アメリカ建国以来、日本の軍艦の入港は初めてということで、岸壁には見物人が大勢押し寄せ、新聞にも大々的に報道されましたが、現地では、「KanrinーMaru」ではなく「Candinmarruh」(カンディンマル)と歓迎されています。

サンフランシスコに滞在中、木村提督(木村摂津守)や勝艦長(勝麟太郎)、士官たちは各方面から歓迎パーティーに招待されたり、乗組員たちは市内見学をしたりして過ごしますが、見るもの聞くもの全てが初めてで、大きなカルチャーショックを受けたようです。

一方、幕府の使節団が乗船したアメリカの軍艦「ポーハタン」は、荒天による破損が著しく、途中ハワイに寄港して修理を行ったため、遅れて3月9日にサンフランシスコ港に入港しました。

使節団はサンフランシスコからパナマに向かい、鉄道でパナマ地峡を横断してキューバに到達し、再び船で首都ワシントンに向かい、ブキャナン大統領への表敬、批准書の交換を終えています。

軍艦「ポーハタン」は、1852(嘉永5)年9月に完成した「サスケハナ」と同型の新鋭艦で、ペリー艦隊の第2次来航時の旗艦でした。
当館が所有する記念切手「 江戸開府400年」には、下田港に停泊中の黒船「ポーハタン」が描かれています。

記念切手(江戸開府400年).jpg

記念切手「江戸開府400年シリーズ<第3集>開国へ向かって」
発行日:平成15(2003)年7月1日
寸法:212×140
所蔵:船の科学館

そして、この航海中に、病に倒れた3人の水夫の存在を忘れてはなりません。
航行中に病死した源次郎、サンフランシスコの病院で亡くなった富蔵と峯吉は現地で葬られました。現在もサンフランシスコ郊外の日系人墓地に、咸臨丸乗組員3人が眠っています。

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投稿者:メル カテゴリー:歴史・人物 コメント:0

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