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日米修好通商条約批准のための随伴艦「咸臨丸」、安政7年2月4日に日付変更線を通過

日米修好通商条約批准のための外交使節の随伴艦となった「咸臨丸」は、安政7年1月19日に浦賀を出港しサンフランシスコをめざしますが、度々荒天に見舞われ、難しい操船を余儀なくされていました。

安政7年2月4日(1860年2月25日)には日付変更線を通過し、順調に航海を続けていた時に、二つの出来事が起きました。

絵画「「咸臨丸」帆走時の精密側面イラスト」

絵画「「咸臨丸」帆走時の精密側面イラスト」
作:西村慶明
寸法:305×465
所蔵:船の科学館

一つは飲料水に関することでした。
2月10日に船内の水の残量を確認したところ、24個のタンクのうち10タンクを消費し、13タンク残っていたので、節約すればサンフランシスコまでの航海に差支えないと判断し、ハワイに寄港せず直行することになり、以後、水は厳重に管理され、使用は飲料のみとなりました。

そのような時に、貴重な水で洗濯をしていたアメリカ水兵によって騒動が起きましたが、ブルック大尉が水兵に対して毅然とした態度をとったことで、日本人乗組員らは大いに感激し、ブルック大尉を見る目が変わったと言われています。

もう一つは、劣悪な生活環境の中で、水夫や火焚きのなかに病人が増え、常時12〜13人が病気で寝込む有様でした。
その対策の一つとして、酒に薬を漬けた物が配られています。

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投稿者:メル カテゴリー:歴史・人物 コメント:0

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