1966(昭和41)年12月7日、造船大国日本の象徴とも言える、世界初の20万トン級オイルタンカー「出光丸」が竣工しました。
日本のオイルタンカーの所有・建造は1905(明治38)年から始まり、軍需によって隆盛しましたが、その反面で太平洋戦争開戦以降は、戦闘の過程で失われました。
戦後の日本は、敗戦と陸海軍の解体によって、船舶建造の再開は望めない状況にあり、石油の輸送は米軍のオイルタンカーを使って供給していましたが、1948(昭和23)年頃になると、国内産業が急速に復興を開始し、米軍のオイルタンカーだけでは供給が困難になりました。
そして、当時の世界中のオイルタンカーは、欧米の石油メジャーに握られ、日本は割高な石油に苦しみ、日本の需要は全て自国船でまかなうことになりました。
一方、1956(昭和31)年以降、スエズ運河封鎖によって、中東からの海上輸送は喜望峰を迂回しても採算が見込める大型タンカーの建造が盛んになり、1960年代に入ると20万トンを越すVLCC(Very Large Crueoil Carrier)が出現しました。
日本の造船業は、1947(昭和22)年頃から、欧州からの新造船注文、朝鮮戦争勃発による特需、中東諸国からの石油輸送激増を背景に飛躍的な発展を遂げ、1956(昭和31)年には進水量175万総トン、世界シェア26%を占め、イギリスを抜いて世界第一位の座につきました。
このような状況のなか、出光タンカー(株)(元・出光興産船舶部)が「自前のタンカーを持ち、中東から直接石油を買い付ける」と立ち上がり、石川島播磨重工業が船の建造を請け負いました。鉄鋼・機械・電気メーカーなど全国から1千社、36万人が結集して世界最大のオイルタンカー「出光丸」が誕生しました。
(誕生までの壮絶なドラマは、NHK『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で放送されました。)
「出光丸」の概要
全長 | :342.00メートル |
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幅(型) | :49.80メートル |
深さ(型) | :23.20メートル |
載貨重量 | :209,302トン |
主機関 | : 蒸気タービン1基 |
連続最大出力 | :33,000馬力 |
満載航海速力 | :16.35ノット |
船型 | :平甲板型 |
乗組員 | :32名 |
出光丸の全長は東京タワー(333m)とほぼ同じ、甲板の広さはサッカーコート(ワールドカップ:105m×68m)を縦に3面並べた大きさとほぼ同じです。
どれほど大きい船か想像できるでしょうか。
船体の中は壁で仕切られたタンクになっていて、原油の積み下ろしは各地の製油所でポンプで行われます。陸上に荷揚げされた原油は精製の過程を経て、ガソリン、軽油、ジェット燃料、灯油など様々な石油製品となって出荷され、私たちの生活に欠かせないエネルギーとなって使用されています。
船の科学館別館展示場では、資料ガイド『オイルタンカー』を販売しています。
本ガイドには、建造時の記録映画『DVD 日本人の誇り 出光丸』が付録でついています。
ご興味がある方は是非ご覧ください。
記録映画「日本人の誇り 出光丸」の概要
監督: | 田中実、竹内亮 | |
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製作: | 岩波映画製作所 | |
時間: | 35分 | |
受賞: | 第19回東京都教育映画コンクール 銀賞、第11回日本紹介映画コンクール 金賞、1967年キネマ旬報ベスト・テン 短編映画第7位、文部省選定 |
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