史上最大にして最強の戦艦として歴史に名を留める戦艦「大和」は、昭和12(1937)年度計画(第3次補充計画:㊂計画)によって建造された大和型戦艦の1番艦で、昭和15(1940)年8月8日に呉海軍工廠で進水し、「大和」と命名されました。

絵画「戦艦「大和」」
作:山高五郎
寸法:256×354
所蔵:船の科学館
この進水式(命名式)は、ドックの渠頭部に設けられた社殿風の式台で、天皇陛下の御名代として久邇宮朝融王海軍大佐が臨席され、高官や工廠の作業員らが見守る中、執り行われました。
進水は、ドックに注水して曳船によって引き出す方法で行われ、浮揚した船体を前に、海軍大臣代理 日比野呉鎮守府司令長官が命名書を読み上げると、直後に工廠長によって支綱(船体を固定していた綱)が切断されました。
なお、「大和」の艦名は、奈良県の旧国名「大和」に由来しています。
当館が所蔵する進水記念の風鎮(掛け軸に下げるおもり)をご紹介しましょう。

「戦艦「大和」進水記念の風鎮」
寸法:50×220×60
所蔵:船の科学館
この風鎮は、戦艦「大和」の進水記念に製作されたもので、有田焼で作られた風鎮には、同工廠の庭田造船部長(当時)がデザインした橿原神宮と二重橋が描かれ、裏側には皇紀二六〇〇年(昭和15年)の文字が刻まれています。
しかし、進水記念品として製作されたものの、配布は中止となり、一部の関係者にのみ手渡されました。そのため現存数はごくわずかとされる、大変貴重な資料です。
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