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神戸税関監視艇 2代目「こうべ」は、高速で機動力をアップして平成11年4月12日に就航

税関監視艇は、海港等における密輸や漁船等を利用した洋上取引への対処、それら密輸行為を抑止することなどを目的として配備され、海上巡回による不審事象や不審船舶の発見、船舶の動静監視、外国貿易船への立入り検査や離島等における情報収集の際の交通手段に活用されています。
その大きさは大型・中型・小型に分類され、令和3((2021)年4月1日現在、全国に29艇配備されています。

ところで、税関の監視艇は、どのような船舶でしょうか。
当館が所蔵する船舶模型「神戸税関監視艇 2代目「こうべ」」をご紹介します。

神戸税関監視艇.jpg

船舶模型「神戸税関 広域監視艇 2代目「こうべ」 (1/20)」
寸法:610×1350×300
所蔵:船の科学館

「神戸税関 広域監視艇 2代目 こうべ」の概要

総トン数 69トン
全長 27.3メートル
5.5メートル
最大速力 43.5ノット
推進装置 サーフェースプロペラ
   

2代目「こうべ」は、初代「こうべ」の老朽化に伴い、代替え船として建造され、平成11(1999)年4月12日に就航しました。
最大速力が43.5ノットと旧来の監視艇に比べ15ノット以上速くなり、機動力が大幅に増しました。

その高い推進力は、サーフェースプロペラによるものでした。
「サーフェースプロペラ」とは、停止時又は低速時に水中に全没している翼が、船の速度がある点を越えた時、翼の上半分が水面上に出た半没水状態になるプロペラのことで、一般的には半没(サーフェース)プロペラといいます。

航行中、半没状態で作動することで積極的に空気の吸い込みを行い、翼背面に安定した空気幕を形成するとキャビテーション(空洞現象)の影響が無くなり、そのため高速回転が可能となることから高い推進力を得ることができます。

その後、2代目「こうべ」は20年間就役し、令和元(2019)年に後継船・3代目「こうべ」と交代しています。

神戸港全景.jpg

「神戸港全景」 出展:写真AC

神戸税関は神戸港を中心に、兵庫県、中国地方(山口県を除く)4県、四国4県の計9県を管轄し、7,135キロメートルにも及ぶ海岸線を6隻の監視艇によって取締っています。
税関監視艇は、貿易秩序の維持と、薬物やけん銃など社会悪物品の流入を阻止するために日夜業務に活用されているのです。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0
4月11日はメートル法公布記念日。海上での単位はマイル!?

日本では、古くから長さは「尺」、質量は「貫」を計量単位とする「尺貫法」が使用されていましたが、明治18(1885)年にメートル条約に加盟し、明治24(1891)年に尺貫法とメートル法を併用する度量衡法が施行され、長さのメートルには「米」、重さのグラムには「瓦」、容積のリットルには「立」の漢字があてはめられて普及が図られました。

その後、大正10(1921)年4月11日に、従来の尺貫法が廃止され、メートル法を基本とする度量衡法の改正が行われたことから、4月11日はメートル法公布記念日とされています。
しかし、メートル法は思うように浸透せず、昭和26(1951)年にメートル法の使用義務と尺貫法の使用禁止が法的に制定され、昭和34(1959)年に完全実施されました。

ところで、海上では、長さの単位は「マイル(海里・浬/カイリ)」を使います。
海上でのマイルは、航海技術の発達とともに、海を渡る航海者が多くなった17世紀に、天体を観測する航法がやりやすいように定められたもので、地球の緯度1分(1度の60分の1)の長さを1マイル=1海里=1,852メートルに決められています。

海図.jpg

「海図」 出展:写真AC

船が航海する時に使う地図「海図」には、水深や潮流、海底地形、岬などの沿岸地形、灯台などの航路標識の配置情報などが図上に記されており、航海者は航海用具の一つとして、「海図」を備えることが義務付けられています。

海図上で距離を求める場合は、緯度に対応した海里を用います。
また、船の速力は、1時間に1海里進む速さが1ノットなので、海図上では速度(海里)から航走距離を容易に求めることができます。

ちなみに、陸上でもマイルを使いますが、海上の長さとは違います。
陸上の1マイル=1,760ヤードですが、イギリスでは1,609.343メートル、アメリカでは1,609.347メートルになっています。
ということで、陸上と海上のマイルを区別するために、海上では「sea mile(シー・マイル)」「nautical mile(ノウティカル・マイル)」を使うことがあります。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0
戦後の南米移住船隊の主力となった2代目「ぶらじる丸」は、昭和29年4月6日に進水

第二次世界大戦後、GHQ の許可という制限のなか、昭和22(1947)年から計画造船が行われ、海上輸送の増強が始まりました。

大型外航船の建造が認められたのは、昭和24(1949)年公募の第5次建造計画からで、外航航路の再開は、サンフランシスコ講和条約発行後、昭和27(1952)年の大阪商船・南アメリカ東岸航路(南米移民船)と、昭和28(1953)年の日本郵船・シアトル航路(氷川丸)からでした。

その南米移住船として活躍し、南米移住の象徴となった大型貨客船の2代目「ぶらじる丸」は、第9次後期造船計画の1隻として、新三菱重工神戸造船所で昭和29(1954)年4月6日に進水しました。

ぶらじる丸進水記念絵葉書1.jpg

ぶらじる丸進水絵葉書2.jpg

絵葉書「大阪商船「ぶらじる丸」進水記念」
寸法:93×165
所蔵:船の科学館

「ぶらじる丸」の概要

総トン数 10,101トン
載貨重量 9,882トン
全長 156.0メートル
19.6メートル
喫水 8.7メートル
主機 ディーゼル機関x1基(出力 9,000馬力)
航海速力 16.3ノット
旅客定員 982名(1等12名、2等68名、3等902名)
乗組員 118名
   

「ぶらじる丸」は、前年の昭和28(1953)年10月19日に建造契約が結ばれ、10月27日に起工、翌年4月6日に進水、7月10日に竣工し、起工から引き渡しまで8ヶ月半という速さで建造されています。
主機には、新三菱重工が新たに開発した大型ディーゼル機関の1号機が搭載されています。

「ぶらじる丸」と後に建造された姉妹船2代目「あるぜんちな丸(昭和33(1958)年竣工)」は、戦後、当初から移民船として建造され、最後の新造移民船となった2隻です。
この2隻だけで、戦後の南米移住者の43%にあたる27,000人を送り出しています。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0
日本郵船ヨーロッパ航路の貨客船「諏訪丸」、昭和18年3月28日に米潜 の雷撃を受け座礁

日本郵船は明治29(1896)年にヨーロッパ航路を開設すると、外国船に対抗するため、次々に新鋭船を投入しましたが、その中の1隻が大正3(1914)年9月に竣工した貨客船「諏訪丸」です。

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絵葉書「諏訪丸」
寸法:89×138
所蔵:船の科学館

諏訪丸は、昭和12(1937)年に日中戦争が始まると陸軍軍用船になり、昭和16年にはフランス領インドシナ(現在のベトナム・カンボジア・ラオス)に進駐する部隊の輸送に従事しています。

太平洋戦争が開戦すると海軍に徴用され、カムラン湾で大船団に加わり、昭和17年2月18日に一斉出撃、ジャワ島に向かっています。いわゆるバタビア沖海戦です。

昭和18年3月25日には約1,000名の将兵と貨物を満載してマーシャル諸島・クェゼリン島を出港して内地に向かう途中、3月28日にウェーク島付近でアメリカ潜水艦の雷撃を受け海岸に強行擱座し、船体は放棄されたままになりました。

その後半世紀が経過し、戦後50年を記念して、米軍が保管していた「諏訪丸の窓枠」が日本郵船に寄贈され、日本郵船歴史博物館に常設展示されています(日本郵船歴史博物館は2026年10月を目途に現在休館中)。

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投稿者:メル カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0

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