イギリスの豪華客船「タイタニック」は、処女航海中の1912年4月14日深夜、カナダのニューファウンドランド島沖で氷山に衝突し、翌4月15日未明に沈没、海底に沈みました。
2,200人を超える乗船者のうち、およそ7割にあたる約1,500人が犠牲になった事故は、当時の海難事故の最大死者数となり、世界に大きな反響を及ぼしました。
絵葉書 「タイタニック」
寸法:106×150
所蔵:船の科学館
氷山に衝突した直後から船体が沈む瞬間まで、時間にして約2時間半の間、タイタニックの電信士はモールス符号「SOS(・・・ーーー・・・)」を打ち続けたところ、ニューヨークから地中海に向けて航行していたイギリスの客船「カルパチア」が遭難信号を受信し、現場へ急行して711人を救出しました。
絵葉書 「タイタニック」
寸法:106×150
所蔵:船の科学館
ところで、「世界で最初にSOSを発信したのはタイタニック」だと、一般的に言われていますが、実は、タイタニックの事故の3年前、1909(明治42)年8月11日にアメリカの汽船「アラパホ」が航行中にプロペラシャフトを損傷し、遭難信号SOSを発していました。
アラパホ号の事故の翌日、新聞各紙がアラパホ号のSOS発信(全員救出)を伝えています。
しかし、タイタニック沈没事故の犠牲者の多さや衝撃が大きかったため、アラパホ号の事故は忘れ去られてしまったようで、タイタニックが最初にSOSを打電した船との思い込みが生じたものと思われます。
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