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今日の海の日

「事件・事故・災害」に関連する記事が17件あります

1912年4月15日に豪華客船「タイタニック」沈没。世界初のSOS信号の発信は!?

イギリスの豪華客船「タイタニック」は、処女航海中の1912年4月14日深夜、カナダのニューファウンドランド島沖で氷山に衝突し、翌4月15日未明に沈没、海底に沈みました
2,200人を超える乗船者のうち、およそ7割にあたる約1,500人が犠牲になった事故は、当時の海難事故の最大死者数となり、世界に大きな反響を及ぼしました。

タイタニック.jpg

絵葉書 「タイタニック」
寸法:106×150
所蔵:船の科学館

氷山に衝突した直後から船体が沈む瞬間まで、時間にして約2時間半の間、タイタニックの電信士はモールス符号「SOS(・・・ーーー・・・)」を打ち続けたところ、ニューヨークから地中海に向けて航行していたイギリスの客船「カルパチア」が遭難信号を受信し、現場へ急行して711人を救出しました。

タイタニック無線室.jpg

絵葉書 「タイタニック」
寸法:106×150
所蔵:船の科学館

ところで、「世界で最初にSOSを発信したのはタイタニック」だと、一般的に言われていますが、実は、タイタニックの事故の3年前、1909(明治42)年8月11日にアメリカの汽船「アラパホ」が航行中にプロペラシャフトを損傷し、遭難信号SOSを発していました。
アラパホ号の事故の翌日、新聞各紙がアラパホ号のSOS発信(全員救出)を伝えています。

しかし、タイタニック沈没事故の犠牲者の多さや衝撃が大きかったため、アラパホ号の事故は忘れ去られてしまったようで、タイタニックが最初にSOSを打電した船との思い込みが生じたものと思われます。

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投稿者:メル カテゴリー:事件・事故・災害 コメント:0
新型コロナウイルス感染症の臨時病床「ペット同伴者用宿泊療養施設」、2020年10月9日に船の科学館敷地内で開所

世界的なパンデミックに発展した「新型コロナウイルス感染症」は、2019年12月初旬に中国・武漢市で感染者が報告されてから、わずか数ヶ月の間に世界的流行になりました。
日本では、2020(令和2)年2月、大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号における集団感染を皮切りに、次第に拡大しました。

感染爆発と医療崩壊が指摘され始めた頃、日本財団は「備えあれば憂いなし」の方針のもと臨時病床の整備を決定し、当館はその設置場所として来館者用駐車場の使用を協力することとしました。

パラアリーナと駐車場療養施設IMG_9133.jpg

「日本財団災害危機サポートセンター全景」
撮影:船の科学館

施設は、災害時の避難所など多目的に活用できることを踏まえ「日本財団災害危機サポートセンター」と名付けられ、日本財団パラアリーナ内に病床設置(100床 ※)、来館者用駐車場に個室型プレハブハウス14棟(150床)と大型テント1張りが設置されました。
竣工後、施設は東京都に無償貸与され、2020年10月9日に東京都「ペット同伴者用宿泊療養施設」として開所しました。
ペットの世話を理由に自宅療養を選ぶ人がおり、同居する家族への家庭内感染を防ぐために運用されたものでした。

  ※日本財団パラアリーナは、東京2020パラリンピック競技大会に向けて
   2021年4月1日から選手の練習を再開。

「ペット同伴者用宿泊療養施設」の仮設住宅は1室20平方メートルの個室部屋とツイン部屋が整備され、トイレ・洗面・シャワー、家具や家電のほか、室内飼育が可能なペット(犬・猫・ウサギ・ハムスター)のゲージ、ペットが逃げ出さないように2重ドアが設置され、他のホテル型宿泊療養施設とは異なる工夫が施されていました。
そして何よりも、各部屋にナースコールが設置され、病状の急変を待機する医師・看護師に知らせることができました。

また、「大型テント」は利用者への物品受け渡し、物資搬入等の作業スペースとして使用されました。

2021年夏には、第5波の感染拡大で重症病床の逼迫が深刻化すると、同施設の一部に酸素投与ができる医療機能が強化され、重症から中等症・軽症に回復した入院患者の受け入れも行われました。

当施設は、2022年3月18日まで17,284名の利用者を受け入れ、医療崩壊に備える臨時病床として貢献したのです。

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投稿者:メル カテゴリー:事件・事故・災害 コメント:0
フィリピン諸島総督ロドリゴが、マニラからアカプルコへの帰国途中、慶長14(1609)年9月3日千葉県御宿沖で座礁

スペイン領フィリピン諸島総督ロドリゴ・デ・ビベロが任期を終え、マニラからヌエバ・エスパーニャ(当時のスペイン領メキシコ)への帰国途中、慶長14年(1609)9月3日、乗船していた帆船「サンフランシスコ号」が暴風雨に遭い、千葉県御宿沖で座礁しました。

帆船には373人が乗船していましたが、駆けつけた岩和田村の村民の懸命な救助により317人が救出されました。
飢えと寒さと不安に震える異国の遭難者たちを、海女たちが素肌で温め蘇生させた、という話が今も伝えられています。

ロドリゴ一行は、地元城主・本多出雲守忠朝(ほんだいずものかみただとも)や村人から手厚い保護を受け、その後、ロドリゴは徳川秀忠、徳川家康に謁見し、翌年、家康がウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)に建造させた帆船「サン・ヴェナ・ヴェンツーラ号」によって無事メキシコに送還されました。

この出来事が日本とメキシコの修好の契機となり、今年で日本メキシコ交流414年を迎えます。

昭和3(1928)年には、ロドリゴ一行の上陸地に近い丘に「日・西・墨三国交通発祥記念之碑」が建立されています。

日西墨三国交通発祥記念之碑(ロドリゴ).jpg

「日・西・墨三国交通発祥記念之碑」 出典:写真AC

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投稿者:メル カテゴリー:事件・事故・災害 コメント:0
北朝鮮工作船の一般公開を2003(平成15)年5月31日から開始

今から20年前、2003(平成15)年5月31日から2004年2月15日までの間、当館において「北朝鮮工作船」の一般公開が行われました。

この一般公開は、日本を取り囲む海で起きている状況を国民に知ってもらい、これからの日本の姿を考えてもらいたい、との思いから、(公財)日本財団と(公財)海上保安協会によって行われたもので、開催期間中、およそ163万人が訪れました。

DSCN0002.JPG

「北朝鮮工作船一般公開」 撮影:船の科学館

北朝鮮工作船は、2001(平成13)年12月21日早朝、鹿児島県・奄美大島北方の東シナ海上で海上自衛隊の哨戒機によって発見され、続いて海上保安庁の巡視船3隻に包囲・追跡され、銃撃戦の末、翌22日夜、自爆・沈没しましたが、実態解明のため、海上保安庁は東シナ海に沈んだこの船を引き揚げました。

当初は検証終了後にスクラップされる予定でしたが、第十管区海上保安本部(鹿児島)から当館に移送され、工作船と回収された武器・通信機器・工作員の所持品を展示したのです。

本船は全長30メートル、幅5メートル、4基の高出力エンジンを搭載した高速船でした。
船尾の格納庫内には長さ11メートル、幅3メートルの小型船(上の写真では本船の右側に展示)が隠されていたほか、船内と周辺の海底からは手榴弾や自動小銃、対戦車ロケット砲2門、携帯型地対空ミサイル2隻などの武器が見つかっています。

また、巡視船との銃撃戦で空いた穴には、工作員のシャツや肌着が詰められていました。
展示会場では、死亡した工作員に対して、日本財団会長名で白ユリの献花が捧げられ、日本語・韓国語・英語による献辞「九州南西海域に沈んだ朝鮮民主主義人民共和国の若者たちに捧げる」が添えられていました。
鳥海美朗・著『日本財団は、いったい何をしているのか 第二巻 本籍は海にあり』には、「工作船の残骸があるだけでは、ただ憎しみの対象が見えるだけであって、何の建設的な効果も生まれないと思ったから」と、曽野綾子会長が献花をした思いが紹介されています。

北朝鮮工作船・献花.JPG

撮影:船の科学館

現在、当館別館展示場では、九州南西海域不審船事件発生時に海上保安庁が記録した映像と工作船の模型を展示しています。

北朝鮮工作船.jpg

船舶模型:北朝鮮工作船 「長漁3705」 (1/72)
寸法(mm):440×80×101
所蔵:船の科学館

海上保安庁・横浜海上防災基地(神奈川県横浜市)にある「海上保安資料館横浜館」では、工作船と回収物が展示されているほか、「海上保安資料館横浜館オンラインミュージアム」ではデジタル映像が公開されています。

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