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今日の海の日

「灯台・建築物」に関連する記事が99件あります

日本の灯台の父・ブラントンが設計した犬吠埼灯台は、明治5年9月28日に着工

黒船の来航を契機に開国に向かった日本は、慶応2(1866)年、イギリス・フランス・アメリカ・オランダと「江戸条約」を締結しました。その条項には、外国船の安全航行のため、指定された場所に灯台を建設することが盛り込まれていました。

翌慶応3(1867)年には、アメリカの船会社パシフィック・メール社が、サンフランシスコ〜横浜〜上海を結ぶ太平洋航路を開設し、その重要な航路を支える灯台として「犬吠埼灯台」や「野島埼灯台」の建設が進められました。

「犬吠埼灯台」の設計・施工監督は、「日本の灯台の父」と呼ばれた英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンによって行われ、明治5(1872)年9月28日に着工、明治7(1874)年11月15日に完成・初点灯しました。

次の錦絵「総州銚子港灯台略図」には、江戸末期から明治初めにかけて活躍した浮世絵師 歌川国輝によって「犬吠埼灯台」が描かれています。
灯台には、初めて国産化に成功した煉瓦19万3,000枚が使用され、その近代的な姿に魅了された見物客が後を絶たなかったそうです。

総州銚子港灯台略図.jpg

錦絵「総州銚子港灯台略図」
作:歌川国輝(二代)
寸法:370×730(三枚続)
所蔵:船の科学館

さて、今日のブログでは、英国人技師ブラントンと、その技術に注目して見ていきましょう。

「江戸条約」によって灯台の設置を求められた幕府は、慶応3(1867)年、灯台建設で名を馳せたスティーブンソン兄弟を在英のまま幕府の技術顧問にしました。
一方、ブラントン(1841-1901)は、技師としての教育を受けた後、鉄道技師として働いていましたが、日本での灯台建設事業の募集に応募し、主任技師として採用されました。
採用後、スティーブンソン兄弟のもとで実地訓練を受け、慶応4(1868)年8月に来日し、以来、明治9(1876)年に離日するまでの7年半の間に、灯台26基・浮標13基・立標3基・灯船2隻を設置し、大きな功績を残しています。

そのブラントンの代表的な灯台の一つが「犬吠埼灯台」で、煉瓦造りの日本一の高塔は二重円筒構造になっています。

灯台は遠くから見えることが重要で、高さが求められます。
そして、高い塔には強風に耐える強度が求められ、地震国の日本では耐震も重要な要素です。しかし当時の日本には、欧米並みの強度を持つ煉瓦がなく、煉瓦の輸入は現実的ではありませんでした。

そこで、ブラントンは、強度が十分でない国産煉瓦を用いて二重円筒構造を採用し、それを放射状の8枚の壁で連結しました。この構造によって煉瓦の使用量を抑えながら、耐震性・耐風性・耐湿性を高めたのです。
この工法は日本人技師に受け継がれ、日本一灯塔が高い「出雲日御碕灯台」にも使われています。

「犬吠埼灯台」は、国際航路標識協会が1998(平成10)年に選定した「世界灯台100選」に選ばれています。また、第50回灯台記念日に実施された公募では日本の灯台50選に選定されました。さらに、2008(平成20)年には「近代化産業遺産」、2020年には国の重要文化財に指定されるなど、その歴史的・文化的価値が高く評価されています。

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投稿者:メル カテゴリー:灯台・建築物 コメント:0
8月1日は「水の日」。江戸で発達した上水道!?

本日、8月1日は「水の日」です。

「水の日」は、水資源の有限性や重要性について理解を深めるため、昭和52(1977)年に閣議了解により定められました。その後、平成26(2014)年に施行された水循環基本法では、「水の日」および「水の週間」が法律に位置付けられています。

8月1日から7日までの一週間は、「水の週間」として全国各地で様々な啓発行事が行われています。
今日は「水の日」にちなんで、江戸の水事情を見ていきましょう。

徳川家康が江戸に入った頃、現在の皇居外苑付近までは海が入り込み、江戸湾沿いには多くの汐入が存在しました。当時の井戸水には海水が混ざり、良質な飲料水を得にくい環境だったため、家康は江戸の飲料水確保を進め、その基盤となったのが「神田上水」でした。井の頭池(東京都三鷹市)を水源とする水が、江戸城内や神田・日本橋一帯へ供給されました。

初代 歌川広重が描いた錦絵「東都名所 御茶之水之図」「富士三十六景 東都お茶の水」には、江戸城の外堀と、城内に「神田上水」を引き入れる上水道(懸樋(かけひ)) が描かれています。

東都名所お茶の水(広重).jpg

東都名所「御茶之水之図」
作:歌川広重(初代)
出版年:天保3〜10(1832〜1839)年
出典:国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」

外堀には、釣りを楽しむ人たちや、様々な荷を載せて往来する舟が描かれ、当時の様子を現代に伝えてくれています。
富士三十六景「東都お茶の水」の上水道(懸樋)の奥に架かる橋は、地名「水道橋」の語源となる橋と言われています。

東都御茶の水.jpg

富士三十六景「東都お茶の水」
作:歌川広重(初代)
出版年:安政5(1858)年
出典:国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」

その後、江戸の人口が増加すると、「神田上水」だけでは飲料水の供給が追いつかず、承応3(1654)年に「玉川上水」が開削されました。
多摩川の羽村取水口から四谷大木戸までの約43キロメートルの流路を、わずか8ヶ月の工事で通水し、多摩川の水が江戸城や大名屋敷、京橋より南側の町人地に供給されました。

そして、江戸時代中期に入ると、鉄棒を用いた掘削技術の普及によって、深層の地下水を汲み上げる「堀抜井戸(ほりぬきいど)」が登場しました。より清浄な地下水を得られる堀抜井戸は次第に普及し、多くの人々に利用されるようになりました。

歌川広重が最晩年に出版した「富士三十六景 武蔵小金井」には、緩やかに蛇行する「玉川上水」と桜並木が描かれています。この桜並木は、この時代から名所として知られています。

富士三六景武蔵小金井.jpg

富士三十六景「武蔵小金井
作:歌川広重(初代)
出版年:安政5(1858)年
出典:国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」

こうして、江戸市中の水需要は上水道によって賄われましたが、現代のような浄水・消毒設備はなく、水が汚染されると飲料水を通じて感染が広がり、コレラ流行の被害を大きくしたと考えられています。
歌川広重(初代)の死因は諸説ありますが、安政5(1858)年に大流行したコレラが最も有力とされています。

江戸の上水道は、人々の暮らしを支える重要な社会基盤でした。一方で、安全な水を維持することの難しさも教えてくれます。「水の日」を機会に、私たちの暮らしを支える水の大切さについて改めて考えてみてはいかがでしょうか。

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投稿者:メル カテゴリー:灯台・建築物 コメント:0
灯台の役割を果たした九段の「高燈籠(常燈明台)」 は、明治2年6月29日に創建された「東京招魂社」の常夜灯!?

明治2(1869)年6月29日に創建された「靖国神社」(東京都千代田区)は、前身は「東京招魂社」と言い、明治天皇の思し召しによって、国家のために犠牲となった人々の御霊が祀られています。

そして、現在、九段坂公園内にある「高燈籠(常燈明台)」は、明治4(1871)年に靖国神社正面の常夜灯として、東京招魂社に祀られた御霊のために建設されたと言われています。
当時の九段坂は見晴らしが良く、遠く房総半島からも高燈籠の灯りが見えたそうで、品川沖を行き交う船の目印として、高燈籠は灯台の役割を果たしていました。

この「高燈籠(常燈明台)」は、明治初期の和洋折衷なデザインが特徴的で、明治・大正期の錦絵や絵画に描かれています。

錦絵招魂社高燈龍之図.jpg

錦絵「東京名勝図会 招魂社高燈龍之図」
作:歌川広重(三代)
寸法:370×250
所蔵:船の科学館

高燈籠(常燈明台)の高さは約17メートルで、下部には自然石が袴腰の形に積まれています。
その上には、レンガ型の切石が積まれた灯塔・ガラスの塔室・屋根が八角円筒で築かれ、屋根の上には東西南北の標識がついた風向計が設置されています。このガラスの塔室の中に、灯器が備えられていました。

「光線画」で知られる木版浮世絵師 小林清親の錦絵には、九段坂上から東の方向を見下ろした夜景が描かれています。

錦絵九段坂五月夜.jpg

錦絵「九段坂五月夜」
作:小林清親
寸法:235×356
所蔵:船の科学館

現在の「高燈籠(常燈明台)」は、道路の改修に伴い昭和5(1930)年に道路反対側に移設されていますが、平成元(1989)年には、老朽化に伴う復元整備が行われ、往時の姿を見ることができます。

千代田区 常燈明台.jpg

写真「九段の高燈籠(常燈明台)」
出典:写真AC

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投稿者:メル カテゴリー:灯台・建築物 コメント:0
日本最古の石造灯台「樫野埼灯台」は、明治3年6月10日に点灯

和歌山県串本町沖の紀伊大島の東端に建つ「樫野埼灯台」は、慶応2(1866)年にイギリス・フランス・アメリカ・オランダと結んだ「江戸条約」によって、設置が義務付けられた8灯台の一つで、観音埼、野島埼、品川に次ぐ4番目の西洋式灯台として、明治3年6月10日(1870年7月8日)に初点灯しました。
以来、現役灯台(昭和29(1954)年改築)として、海面上47メートルの高さから、約33キロメートル(約17.8海里)まで光を放ち、航行の安全を守っています。

樫野埼灯台AC1.jpg

「樫野埼灯台」 出典:写真AC

また「樫野埼灯台」は、「日本の灯台の父」と称されるイギリス人技術者リチャード・ヘンリー・ブラントンが、7年6ヶ月の間に手がけた灯台26基の中で、最初に手がけた灯台で、日本最古の石造灯台でもあります。
ブラントンはあわせて灯台官舎も建設しており、「樫野埼灯台旧官舎」は登録有形文化財に指定されています。

樫野埼灯台.jpg

絵葉書「樫野埼灯台 吉野熊野国立公園」
寸法:91×141
所蔵:船の科学館

そして「樫野埼灯台」は、日本とトルコの絆が深く結ばれるきっかけとしても知られています。
明治23(1890)年、日本への親善使節を乗せたトルコ軍艦「エルトゥールル」が、帰路、台風に遭遇して和歌山県樫野崎沖で沈没、500名以上の死者を出す海難事故が起きました。海に投げ出された乗組員等は、樫野埼灯台の灯火を頼りに泳ぎ着き、69名が救助され、日本の巡洋艦によってトルコに送還されました。
この海難事故・国際交流等の歴史は、「樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡」として史跡に指定されています。

「樫野埼灯台 」の周辺には、ブラントンが故郷を偲んで植えたことが始まりとされる水仙が群生し、冬には水仙の甘い香りを漂わせています。

樫野埼灯台と水仙.jpg

出典:写真AC

「樫野埼灯台」は、ロマンスの聖地にふさわしい灯台「恋する灯台」として、2018(平成30)年度に認定されています。

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