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今日の海の日

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クジラ(潜水艦)の彼はどこに?毎月9日はクジラの日

潜水艦は高度に情報を統制されているそうです。
「隠密行動」であるがゆえに、「乗組員は家族や親しい知人にも行動予定を知らせてはいけないとのことです。

『浮上したら漁火がきれいだったので送ります』。それが2ヶ月ぶりのメールだった。彼女が出会った彼は潜水艦(クジラ)乗り。ふたりの恋の前には、いつも大きな海が横たわる――制服ラブコメ短編集。

書影クジラの彼.jpg

クジラ(潜水艦)乗りを彼氏にすると、彼女は彼が「今どこにいるのか」「いつ帰ってくるのか」連絡を取り合うこともままならず...。

海上に浮上してスマホの電波がつながって送られてきたメールは
「元気ですか?浮上したら漁火がきれいだったので送ります。春はまだ遠いですが風邪などひかないように気を付けて。」
句読点を入れても五十三文字...。

この作品は、以前このブログでもご紹介した有川さんの作品「海の底」の番外編です。

「海の底」に登場した海上自衛隊の潜水艦乗り冬原のもう一つの物語は甘ったるい恋愛小説ですが、有川さんはあとがきで次のように書いています。

自衛隊で取材をさせて頂けるようになって、階級がすごく上の方々にもお話を伺うことができたのですが、「自衛隊で恋愛物をやります。ベタ甘です」と申し上げますと皆さん相好を崩して「それはいいね!」と仰ってくださいました。
「自衛官も恋愛したり結婚したりするフツーの人間なんだということを書いてやってください」
 それは恐らくご自分の大勢の部下たちのために。

潜水艦が重要な役割を果たしている小説ですが、探索行動や国境警備という話ではありません。私たちと同じ「フツーの人間」を描いています。

しかし、「フツー」の裏には相当な覚悟が隠されていると思います。
「海に守られている」私たちは、「海をまもる」人たちのことをあまり知らないようです。

作品名:クジラの彼
著者:有川浩
発行:角川文庫
初版:2010(平成22)年6月25日

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投稿者:うっちー カテゴリー:書籍 コメント:0
「レイテ戦記」の著者大岡昇平、3月6日に生誕

小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者として活動した大岡昇平は、1909(明治42)年3月6日東京牛込で生を受けました。

大岡は、1944(昭和19)年3月に35歳で召集、フィリピンのミンドロ島に派遣され、1945(昭和20)年1月に米軍の俘虜になります。復員したのはその年の12月でした。

大岡は、自身の俘虜体験をもとに多くの作品を残していますが、その一つに「レイテ戦記」があります。

レイテ戦記(一).jpg  レイテ戦記(二).jpg

レイテ戦記(三).jpg  レイテ戦記(四).jpg

「レイテ戦記」の初出は「中央公論」1967年新年特大号、連載の終了は1969年7月号です。
1971年に中央公論社から単行本として出版された後、1974年に文庫化されました。

今回の書影は、1974年文庫版を再編集して2018年4月に発行された中公文庫版です。

レイテにおける海戦

レイテ戦は、1944(昭和19)年10月20日から終戦までフィリピン・レイテ島で行われた、日本軍とアメリカ軍の陸上戦闘のことで、日本軍の犠牲は84千人を超え、戦死者79千人のうち大半は餓死でした。

「レイテ戦記(一)」九 海戦(P193〜)に大岡も書いているように、「この戦記の対象はレイテ島の地上戦闘であるが、十月二十四日から二十六日まで、レイテ島を中心として行われた、いわゆる比島沖海戦は、その後の地上戦闘の経過に、決定的な影響を与えている〜」ということです。

日米海軍の最後の決戦比島沖海戦で、日本はレイテ島周辺の制海権を喪失します。
この海戦で不沈艦といわれた戦艦「武蔵」は沈没するなど、日本海軍は多くの艦船を失いました。

そして、この戦いの中で「神風特攻」が初めて行われたことも忘れてはならないでしょう。

戦争とは

この版の第一巻巻末に収められた大岡による「レイテ戦記の意図」を読むと、戦後大岡が分析した戦争というものが、2023年の今日においても全く変わっていないことに驚かされます。

「徴兵は、(中略)国全体が国を守って防衛的に戦う場合には有利なんですけれども、こっちが攻め込んでいく場合には。そううまくいかないんです。」

「徴募兵というのは内地を守るためためならいいけれど、(中略)攻勢的に使われる場合では、祖国を守るための時のように、戦意に燃えて一体になって働くことができないのです。」

「前線で敵の兵隊をたくさん殺すよりも、銃後の生産力をつぶしてしまう方が勝つ早道だという考え方が生まれてくる。これがさらに発展して無差別爆撃ということが行われるわけです。(中略)国民全体の戦意を喪失させてしまう方が戦争の解決の近道だということになって(中略)街全体を廃墟に化してしまうという爆弾が発明されたとなると、この戦争というものは、われわれが、徴募兵が前線へ行って、どうけんかするというようなことは問題ではなくなるわけです。」

「戦争は勝ったか、負けたかというチャンバラではなく、その全体にわれわれの社会と同じような原理が働いている、軍隊を構成するいろんな人間の意志、欲望、あるいは弱さ、あらゆる感情的な要因がそこに働いているということです。」

講演「レイテ戦記」の意図
山梨英和短期大学国文学会主催第五回文芸後援会 1969年10月18日

初出から50年超、大岡の死後30年に再編集された「レイテ戦記」が発行されたことは、この本を後世に伝えたい、という編集者の強い意志を感じます。

レイテ島の位置

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投稿者:うっちー カテゴリー:書籍 コメント:0
「悪魔のおにぎり」を生んだ渡貫淳子著「南極ではたらくかあちゃん、調理隊員になる」が2022(令和4)年2月22日に文庫化された

書影南極ではたらくかあちゃん.jpg

悪魔のおにぎり

「南極ではたらくかあちゃん、調理隊員になる」の筆者であり第57次南極地域観測隊(越冬隊)の調理隊員だった渡貫淳子さんが考案した南極隊員の夜食用おにぎり

南極では生ゴミを極力出さないように努力するので、夜食用に夕飯の残りの食材でおにぎりもよく作ったそうです。

天ぷらを作った時には天かすを活用したため高カロリーになってしまいましたが、隊員はおいしいから食べたい...。ある隊員が「このおにぎり、悪魔っすね」とつぶやいたそうです。

悪魔のおにぎりはこうして誕生しました。

渡貫さんがテレビ出演時に紹介したところSNSで話題になり、コンビニエンスストアチェーンのローソンが商品化し、一時期人気おにぎりの第一位になりましたので、ご存じの方も多いかもしれません(現在は販売されていないようです)。

渡貫さんを虜にした南極

現在は南極での経験も活かして講演活動をしている渡貫さんですが、調理隊員になるための一般公募隊員試験には2度不合格、3度目の挑戦で合格しています。

その渡貫さんが、南極観測隊の調理人を目指すきっかけ、現地での体験を一冊の本にしたのが「南極ではたらくかあちゃん、調理隊員になる」です。

日本から14,000km離れた、世界で一番寒い場所・南極。昭和基地で活躍する観測隊に加わってご飯が作りたい! 調理師として、主婦として働いてきた経験を活かして乗り込んだまったくの“異世界”で、献立の工夫を重ねたり、人間関係に涙したり。1年4か月の奮闘の日々を新鮮な驚きを交えて綴る。テレビ出演で一躍有名になった夜食「悪魔のおにぎり」誕生のエピソードや、食材を余さず使いつくす南極流オリジナルレシピも収録。

観測隊には様々な職種の人が必要ですが、調理隊員もその一つです。

ブログ「今日の海の日」で、「冷凍食品は南極観測隊の越冬用食材として冷凍食品が使われたのがきっかけで広く一般に普及した」「越冬隊員には「食品の解凍技術」が優れた料理人が喜ばれる(らしい)」と紹介しましたが、毎日3食隊員の食事を用意しなければならないわけです。
しかも約一年の間、食材の補給はありません。

それでも渡貫さんはもう一度南極観測隊に参加したい、という夢を抱いているそうです。
南極には行った人を虜にする何かがあるようです。

なお、この本には「家庭でも作れる南極リメイクレシピ、「悪魔のおにぎり」レシピ」も収録されています。

タイトル:南極ではたらくかあちゃん、調理隊員になる
著:渡貫淳子
発行:角川書店

著者プロフィール
渡貫 淳子 (ワタヌキ ジュンコ) (著/文)
1973年青森県八戸市生まれ。調理師。伊藤ハム株式会社商品開発部所属。「エコール辻東京」を卒業後、同校の日本料理技術職員に。出産後は、いったん職場を離れ、一児の母として家事・育児に奮闘する日々を送ってきたが、一念発起して南極観測隊の調理隊員にチャレンジ。3度目の挑戦で見事合格を果たし、母親としては初の調理隊員として第57次南極地域観測隊に参加。帰還後は、各誌でのレシピ紹介や講演会など活動の場を広げる。

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投稿者:うっちー カテゴリー:書籍 コメント:0
1945(昭和20)年2月17日、小説「シェエラザード」に登場する”弥勒丸”のモデルになった貨客船「阿波丸」が門司を出港。

浅田次郎の小説「シェラザード」は、第二次世界大戦中に起きた「阿波丸事件」という悲劇を素材として創作されています。

書影シェエラザード(上).jpg

金塊を積んだ沈没船が我々を夢へと誘う

昭和20年、嵐の台湾沖で、2300人の命と膨大な量の金塊を積んだまま沈んだ弥勒丸(みろくまる)。その引き揚げ話を持ち込まれた者たちが、次々と不審な死を遂げていく――。いったいこの船の本当の正体は何なのか。それを追求するために喪われた恋人たちの、過去を辿る冒険が始まった。日本人の尊厳を問う感動巨編。

引用:講談社BOOK倶楽部

タイトル:「シェエラザード」(上) (下)
作:浅田次郎
発行:講談社

「阿波丸事件」とは

「阿波丸」は三菱長崎造船所で建造された、当時の高性能貨客船です。
日本郵船がオーストラリアへのメインルートである豪州航路に就航させるため、一等船室の設置も計画されていました。

しかし、起工した年に太平洋戦争が勃発したため、資材不足等もあり艤装は簡略化され1943(昭和18)年3月に竣工します。商業運航されることはなく、戦争に駆り出されました。

そして1945(昭和20)年、「阿波丸事件」が起こります。

日本とアメリカは「捕虜および拘束民間人への救援物資を交換する協定」を結びます。「阿波丸」は病院船に準じた安導権(あんどうけん、Safe conduct)を与えられ、船体は灰白色、緑十字の識別マークが描かれ、夜間には照明も灯されていました。

安導権:交戦国が通行することを許可するための通行証または通行文書を発行することで得られる保護のこと

任務を終えた「阿波丸」は3月28日にシンガポールを出港し日本への帰途につきますが、4月1日、アメリカ軍の潜水艦「クイーンフィッシュ」の雷撃を受け沈没してしまいます。

この時に乗船していた2,000人以上の乗客乗員(商船員480人、三井物産支店長以下の商社員、技術者、大東亜省次官以下の公務員など非戦闘員600人、軍人および軍属820人と乗員)のほとんどが死亡しました。

日米間の協定で安全航行が保障された「安導権を持つ阿波丸」に対して「クイーンフィッシュ」には攻撃禁止命令書が出ていましたが、日本が協定違反となる「軍事物資」を塔載していることが確認されたため、多数の非戦闘員が乗船しているにもかかわらず「阿波丸」は攻撃されたのです。

シェエラザード

「シェエラザード」とは「千夜一夜物語」〈アラビアンナイト〉で夜ごと王様に面白い話を聞かせた王妃の名前です。
この物語をもとにリムスキー・コルサコフ(ロシアの作曲家)が作った交響組曲「シェエラザード」が「弥勒丸」の船内で流れています。

書影シェエラザード(下).jpg

 

日本人が抱く喪失感はこれだったのだ!

弥勒丸引き揚げ話をめぐって船の調査を開始した、かつての恋人たち。謎の老人は五十余年の沈黙を破り、悲劇の真相を語り始めた。私たち日本人が戦後の平和と繁栄のうちに葬り去った真実が、次第に明るみに出る。美しく、物悲しい「シェエラザード」の調べとともに蘇る、戦後半世紀にわたる大叙事詩、最高潮へ。

引用:講談社BOOK倶楽部

1945(昭和20)年2月17日は、「捕虜および拘束民間人への救援物資を交換する協定」に基づく任務を遂行するため「阿波丸」が門司港を出港、経由地を経てシンガポールに向かった日です。

 

現実に多くの国民が忘れてはならないことを忘れてしまったからこそ、戦後五十年を経た今日でもなお、さまざまの問題が起きているのではないか。(中略)われわれが勝手に忘却したものは、余りにも多すぎる。

引用:シェエラザード「あとがき」より

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投稿者:うっちー カテゴリー:書籍 コメント:0

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