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「宗谷通信」に関連する記事が32件あります

【宗谷通信32】日本の南極観測の原点とは?
こちらは、初代南極観測船“宗谷”です。

先日調べ物をしていた際に、今年2026年が白瀬中尉の没後80年にあたることに気が付きました。白瀬中尉は1946年9月4日、85歳で亡くなっています。
皆さまはこの白瀬中尉をご存じでしょうか?
日本人として初めて南極大陸へ到達した探検隊を率いた人物が、白瀬矗(しらせのぶ)陸軍中尉(1861.7.20ー1946.9.4)です。
「しらせ」と聞いて「おや?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。

写真7 白瀬 (1).jpg
写真「わが国初の南極探検を成功させた白瀬隊長」
所蔵:船の科学館


1911年から1912年にかけて、世界では南極点到達をめぐる熾烈な競争が繰り広げられていました。
探検家ロアール・アムンセンが率いるノルウェー隊と、海軍大佐ロバート・スコット率いるイギリス隊です。
1911年12月14日、アムンセン隊が世界で初めて南極点へ到達し、無事に生還を果たしました。 いっぽう、スコット隊はその約1カ月後の1912年1月17日に南極点へ到達しましたが、その帰路で隊員全員が命を落とすという悲劇的な結末を迎えました。
そして、この歴史的な南極探検の時代に、日本からも南極を目指した人々がいたのです。
それが、白瀬中尉率いる白瀬南極探検隊でした。

1910年11月29日、白瀬南極探検隊は機帆船「開南丸」で東京・芝浦を出港しました。
この開南丸という船は、もとは「第2報效丸(だいにほうこうまる)」という名の木造漁船で、船体に補強を施し、蒸気機関を取り付けた204トンのとても小さな船でした。
また、「開南丸」という名前は、海軍大将東郷平八郎によって命名されました。

翌1911年2月、開南丸は補給のためニュージーランドへ寄港し、その後さらに南下して3月には南極圏へ入ります。
しかし、南極の短い夏はすでに終わろうとしています。ほどなくして海面の凍結が始まったため、これ以上の前進は不可能と判断し、上陸を断念しました。
一度オーストラリアのシドニーへ戻った白瀬隊は、約半年の再準備を経たのち、再び南極へ挑戦しました。
開南丸.jpg
船舶模型「南極探検船「開南丸」(1/50)」
寸法:1,010×165×595
所蔵:船の科学館


1912年1月、アムンセンやスコットと同じくロス海方面から上陸した白瀬隊は、南極点到達こそ果たせなかったものの、南緯80度05分まで前進し、その地一帯を「大和雪原(やまとゆきはら)」と名付け、当時の探検活動の慣例にしたがって日章旗を掲げて日本領とすることを宣言しました。
さらに「開南湾」「大隈湾」と、この南極探検にちなんだ地名を残しています。
ちなみに砕氷艦「しらせ」の船名のもとになった「白瀬氷河」は、昭和基地のあるリュツォ・ホルム湾の最奥部に位置し、1961年に白瀬中尉を記念して命名されました。

また、後援者である大隈重信伯爵から南極行きの目的を「南極点踏破」から「学術探検」に変更するよう助言を受けた白瀬隊は、大和雪原の探査、気象や岩石、ペンギンなどの学術調査を実施し、研究報告をまとめています。

このような壮挙を成し遂げた白瀬中尉ですが、帰国後の生活は順風満帆ではありませんでした。
南極探検には多額の費用がかかり、白瀬中尉自身が大きな借金を背負うことになったのです。その返済のため、南極の映像を持って国内をはじめ、朝鮮半島・満州・台湾などでも講演会を行いました。
1927年になってアムンセンが来日した際に2人は会見を行いますが、白瀬はその際、自分の生活苦が滲む身なりを恥じて、会うのをためらったともいわれています。
苦しい生活が続き、借金を完済したのは1935年、白瀬中尉が74歳のころだったとされています。

そして、当初は熱狂をもって注目された南極探検も、いつしか人々の記憶は薄れていきます。

そんな空白の期間が40年以上過ぎた1955年、日本は再び南極を目指すことになります。
1957年〜1958年に実施されるIGY(国際地球観測年)に向けた南極観測への参加です。
しかし、南極部会で日本の南極観測参加が審議された際、太平洋戦争における遺恨を持つ一部の国からは猛反対を受けました。肩身の狭い状況で日本が参加を認められた背景には、アメリカとソ連による支持に加え、白瀬南極探検隊の学術研究の実績が追い風になったともいわれています。

いっぽう、南極観測への参加をめぐって国内でもさまざまな議論がありました。
終戦からわずか10年、まだまだ復興途中の日本にとって南極観測など大金をかけて行う余裕はないという意見も少なくない中、白瀬中尉の南極探検がひとびとの背中を押す力となっていました。
参加に賛同したひとりに、松村謙三文部大臣がいます。松村大臣は学生時代、白瀬隊の南極出港を熱狂的に見送った経験がありました。その思い出から「戦争に敗れ、意気消沈している時、こうしたことをやらなければだめだ! 」と、南極観測を強く支持したのです。
また、白瀬中尉が借金返済のために各地で行った講演会のひとつに、第1次南極観測で越冬隊長を務めた西堀栄三郎氏が参加していました。当時子どもだった西堀氏は講演を聞いてその情熱に感銘を受け、このことをきっかけに南極に憧れを持つようになったといいます。
白瀬中尉から始まった熱意が、日本を再び南極へと送り出したのです。
そして1956年11月8日、初代南極観測船“宗谷”は第1次南極観測隊を乗せて日本を出港しました。

1956.11.08 晴海出港04.jpg
写真「S31.11.08 初の南極観測に出港する宗谷」
所蔵:船の科学館


こうして始まった南極観測は、“宗谷”、“ふじ”、“5002しらせ”、そして現在の“5003しらせ”へと受け継がれ、今年2026年に70周年を迎えました。
宗通32_白瀬南極探検旗.jpg
「白瀬南極探検旗」で見送られる「5003しらせ」
撮影:船の科学館


この節目の年に、日本の南極観測の原点ともいえる白瀬南極探検隊の歴史にも触れてみてはいかがでしょうか。
白瀬中尉の故郷である秋田県にかほ市には、この偉業を顕彰する「白瀬南極探検記念館」があります。
白瀬隊の南極探検はもちろん、現代の日本の南極観測についても広く紹介されていて、見ごたえのある施設です。
興味のある方はぜひ訪れてみてください。

右向き三角1白瀬南極探検記念館(秋田県にかほ市)
https://shirase-kinenkan.jp/
宗通32_白瀬記念館.JPG
白瀬南極探検記念館
撮影:船の科学館


そしてもう1カ所、白瀬南極探検隊にまつわる場所をご紹介します。
白瀬中尉が開南丸で出港した地、芝浦です。
東京都港区の埠頭公園には、出港の記念碑のほか、開南丸を模した遊具、南極大陸を表した池も設置されています。
新交通ゆりかもめ「芝浦ふ頭駅」から徒歩5分ほどですので、“宗谷”ご見学の際に少し足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

右向き三角1埠頭公園
https://shibaurachuopark.com/futo-park
宗通32_埠頭公園記念碑.JPG
埠頭公園 南極探検出港の記念碑
撮影:船の科学館



《船の科学館 イベント紹介》
【青海スタンプラリー】
“宗谷”が係留されている青海地区にある3施設合同でスタンプラリーを開催中です。
海上保安庁の海洋情報資料館、TOKYOミナトリエ、初代南極観測船“宗谷”の3施設を回ってスタンプを3つ集めると、ここでしか手に入らないオリジナルグッズをプレゼント♪
開催はいよいよ9月30日(水)まで!
▽「青海スタンプラリー」の詳細はこちらをご覧ください。
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それでは今回の【宗谷通信】は、ここまで!
以上、“宗谷”から整備係兼学芸員のアデリーがお伝えしました。

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投稿者:アデリー カテゴリー:宗谷通信 コメント:0
【宗谷通信31】南極キャロムをご存じですか?
こちらは、初代南極観測船“宗谷”です。

いよいよ8月も終わりに近づいてきました。夏休みもあと少しのところが多いのでしょうか。新学期への準備はととのいましたか?

現在“宗谷”にて開催中の「南極観測70周年特別企画」の会期も8月30日までと、残りわずかとなりましたので、この機会にぜひご来船ください。
さて、この特別企画の一環で、8月9日には“宗谷”船内で「キャロム体験会」を開催しました。多くの方にご参加いただき、とてもにぎやかで楽しい会となりました。

宗通31_キャロム体験会.jpg
キャロム体験会の様子



皆さまはこの「キャロム」(または「カロム」、英語表記:CAROM)をご存じでしょうか?どちらかというとあまりなじみのない方が多いのではないでしょうか。
あるいはビリヤードの一種を想像する方もいるかもしれませんね。
キャロムは、おはじきとビリヤードを組み合わせたようなボードゲームで、指で弾いたコマをボードの四隅の穴に入れて遊びます。
その原形は、一説には12〜13世紀ごろのエジプトにあるともいわれ、19世紀ごろに現在につながる形が成立したとされています。諸説ありますが、日本には明治末期から大正期にかけて伝わったといわれています。

このキャロムが、南極観測に赴いた“宗谷”の船内でも行われていました。
第1次南極観測から“宗谷”に積み込まれたキャロムは、コミュニケーションツールのひとつとして隊員たちに親しまれ、「南極キャロム」という独自の文化も生まれました。
狭い船内や、太陽が昇らない季節もある基地での生活は、どうしても閉塞感を伴います。そのため一部の隊員の中にはつい引きこもりがちになり、疎遠になってしまうということもありました。
だからこそ、そんな環境では隊員同士のコミュニケーションがなによりも大切だったのです。
そこで一役買ったのがこのキャロムでした。みんなでボードを囲んで笑いあう時間が隊員同士の絆を深め、ストレス発散にもなっていたそうです。

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「カロムに興じる 隊員食堂にて」
写真提供:島�ア満雄氏


キャロムはルールがシンプルで覚えやすく、誰でも練習次第で上達できます。それでいて手に汗握る対戦が楽しめるとあって、隊員の間では麻雀や映画と並ぶ人気の娯楽でした。
船の動揺が盤面にも影響を及ぼしてゲームの局面が変わってしまう、といった偶然性も、このゲームならではの面白さだったのかもしれません。

第3次南極観測越冬隊による私家本『14人と5匹の越冬隊』(若井登・小口高編著)には、「これを(南極へ)運んだのは卓見と言うべきだ。(中略)大の大人が周りに応援団までついて応援する」とあり、隊員たちがキャロムに熱中する様子が描かれています。
また、同書には昭和基地には2組のキャロムがあること、キャロムを持ち込んだのは、のちに南極点到達を果たした村山雅美氏らの発案であることも記されています。
船や基地という狭く限られた空間で、長い時間を円滑に過ごすための工夫の一つでもあったことがうかがえますね。
第1次〜3次観測で隊長を務めた永田武氏も、キャロムファンだったそうです。

現在、国内ではとくに滋賀県彦根市に根付いた「彦根カロム」が幅広い世代に支持されて大会なども開かれています。
この彦根カロムは南極キャロムとは違うルールで行われ、ボードのデザインも全く異なります。
南極キャロムでは、コマを必ずボードの壁に当てる必要があり、難易度の高いルールとなっています。実際に初挑戦のスタッフ同士で対戦してみたところ、あまりの難しさにゲームがなかなか進みません。そのため今回の体験会では、お子様でも楽しめるようルールを簡略化して開催しました。
それでも「コマを弾いて当てる」というシンプルな動作が見た目以上に難しく、なかなか思ったとおりにいかないと苦戦する声も多く聞こえました。一方で、そんな難しさがかえって面白く、「次こそは」と奮い立って熱中する方も多いようでした。

また、南極キャロムで使われていたデザインのボードは、現在では入手が難しくなっています。
“宗谷”船内の観測隊食堂には南極観測当時使われていたと思われるキャロムボードを展示していますので、ご見学の際はぜひご覧ください。

宗通31_観測隊食堂.JPG
観測隊食堂で展示中のキャロムボード


キャロムは“宗谷”に続き、“ふじ”、初代“しらせ”にも積み込まれ、南極観測隊との関係は長く続きました。
現在、愛知県名古屋市で係留公開されている2代目の南極観測船“ふじ”の船内では、キャロムを楽しむ隊員と、その様子を観戦する隊員の光景がマネキンで展示されています。
仕事だけではなく、船内生活の一端が垣間見える楽しい展示ですね。
(南極観測船“ふじ”ホームページ: https://nagoyaaqua.jp/garden-pier/ )
宗通31_ふじキャロム.JPG
キャロムに興じる隊員のマネキン展示
撮影協力:公益財団法人名古屋みなと振興財団 南極観測船“ふじ”
撮影:船の科学館


南極観測というと、厳しい自然環境の中での観測や研究が注目されがちですが、隊員たち一人ひとりに日々の暮らしがあり、仲間と笑い合って息抜きをする時間がありました。キャロムは、そんな隊員たちの生活を今に伝えてくれるものの一つです。
“宗谷”をご見学の際には、観測や船に関する展示だけでなく、こうした船内生活の一コマにもぜひ目を向けてみてください。隊員たちの暮らしを少し身近に感じていただけるのではないでしょうか。


さて、2026年はわが国の南極観測70周年という記念の年です。
船の科学館 初代南極観測船“宗谷”では特別企画を開催中です!
会期は8月30日(日)までです。
▽「南極観測70周年特別企画」の詳細はこちらをご覧ください。
https://funenokagakukan.or.jp/2026/42260/

また、“宗谷”が係留されている青海地区にある3施設合同でスタンプラリーも開催中です。
海上保安庁の海洋情報資料館、TOKYOミナトリエ、初代南極観測船“宗谷”の3施設を回ってスタンプを3つ集めると、ここでしか手に入らないオリジナルグッズをプレゼントいたします。
こちらは9月30日(水)まで!
▽「青海スタンプラリー」の詳細はこちらをご覧ください。
https://funenokagakukan.or.jp/2026/42957/

それでは今回の【宗谷通信】は、ここまで!
以上、“宗谷”から整備係兼学芸員のアデリーがお伝えしました。


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投稿者:アデリー カテゴリー:宗谷通信 コメント:0
【宗谷通信30】非公開区画体験ツアーレポート
こちらは、初代南極観測船“宗谷”です。

今回の宗谷通信では、2026年6月27日・28日に開催した「東京みなと祭応援イベント」の中の「非公開区画体験ツアー」の様子をお届けします。

非公開区画体験ツアーでは、職員による解説を聞きながら船内を見学していただくスペシャルな内容となっており、毎回ご好評をいただいています。 あいにく台風の影響により1日目はイベント中止、2日目も雨の影響で一部見学場所を変更しての開催となりました。

今回のテーマは「航海装置について」でした。 メインテーマとして「操舵輪から舵までどのように力が伝わって船を動かすのか」、そのほか航海に欠かせないさまざまな装置もご紹介しました。
その中の主だった部分を順に追って見ていきましょう。

まずは「転輪羅針儀室」です(通常非公開のエリアです)。

宗通30_ジャイロコンパス.JPG
“宗谷”船内
ジャイロコンパス



ここには転輪羅針儀、いわゆる「ジャイロコンパス」が据えられています。
ジャイロコンパスは、地磁気の影響を受けることなく真北を指す、航海には欠かせない装置です。
だいたい船の真ん中付近(最も安定した位置)に置かれます。
操舵室などに設置された「ジャイロコンパスレピーター」はここからの信号を受信して、正確な方位を表示します。

それでは船橋にある操舵室に行ってみましょう。

宗通30_ジャイロレピーター.jpg
“宗谷”操舵室


ジャイロコンパスレピーター(受信機)がありますね。先ほど見たジャイロコンパスからの信号を受け取って、ここで表示しています。
操舵手はここを見ながら操船します。

こちらは伝声管です。アニメや映画などで見たことがある方も多いかもしれません。
宗通30_伝声管.jpg
“宗谷”操舵室にある伝声管

“宗谷”の操舵室には上の画像にあるような大きなものが3つと、この他に小さなものが3つあります。
伝声管は声を直接届ける通信装置です。このラッパのような口に向かって話すと、管の先にいる相手へ声が届きます。
船舶安全法の「船舶設備規程」により、船内の通信装置として伝声管やトランシーバー、専用電話のいずれかの設置が義務付けられています。
伝声管は一見レトロな装置にも見えますが、先日、南極観測船SHIRASE5002を見学した際、操舵室に伝声管が設置してあるのを発見しました。
“宗谷”のものより小ぶりで、雰囲気も少し違いますね。

宗通30_SHIRASE伝声管.jpg
“SHIRASE5002”操舵室にある伝声管
撮影:船の科学館



後ろから2本の細い管が伸びていますね。これをテレモーター管と言い、この管の中には水とグリセリンの混合液が通っています。舵輪を回すと、この混合液の圧力変化が2本の管の中を通って、船尾の舵取機へ伝わる仕組みです。
2本の管はデッキを降り、天井や壁を伝って船尾まで伸びていきます。
天井を走る様子を見てみましょう。下の写真の赤線で囲った部分がテレモーター管です。

宗通30_テレモータ管.jpg
“宗谷”の天井部分


“宗谷”の通路天井には化粧板がなく、配管がむき出しで見えるようになっていますが、その中でもこの2本の管は単独で束ねられ、さらに保護板に固定されています。
船にとってはとても重要な管なので、このように他の配管とは少し違う扱いがされているのがおわかりいただけると思います。

操舵室をスタートして船内を走ってきた管は、最後はこの船尾にある「舵取機室」にたどり着きます(通常非公開のエリアです)。
ここは船のお尻にあたり、係留岸壁から船を見たとき、船名文字が書いてある場所の内側にある部屋です。
宗通30_舵取機.jpg
"宗谷”舵取機


ここに着くと、管は「舵取機」に接続され、混合液による圧力が舵取機へ伝わり、今度は電動の油圧ポンプへと力が伝わって、いよいよこの機械の真下にある「舵」を動かすことになります。 操舵室からここまで長い旅でしたね。

現代の船の多くは、操舵輪の動きを電気信号で舵取機へ伝える方式が採用されています。
そのため大きな操舵輪は必要なくなり、もっと小さなものへと変化しています。
"宗谷”以降のの後、歴代南極観測船の操舵輪を並べてみるとこんな感じです。
宗通30_歴代操舵輪.jpg
撮影:船の科学館


現在活躍している“5003しらせ”の操舵輪は、乗用車のハンドルとほぼ同じくらいの大きさです。時代と共に操舵装置も進化していることがわかります。

さて、ツアーではこのような流れで船内をご案内しました。
“宗谷”や船に関心を持ってくださる皆さまをご案内できると良いのですが、なにしろ小さな船で通路も狭く、あまり多くの方をご案内することができず、私たちももどかしく思っております。
解説ツアーはおおむね年に一度、みなと祭の時期に開催しておりますので、当館ホームページやブログでチェックしていただけますと幸いです。


ところで、2026年はわが国の南極観測70周年という記念の年です。
船の科学館 初代南極観測船“宗谷”では、この夏休み期間に特別企画を開催中です!
皆さまに楽しんでいただける企画を多数ご用意しておりますので、ぜひ夏のおでかけにご来船ください。
特別企画の詳細はこちらをご覧ください。
https://funenokagakukan.or.jp/2026/42260/

また、“宗谷”が係留されている青海地区にある3施設合同でスタンプラリーも開催中です。
海上保安庁の海洋情報資料館、TOKYOミナトリエ、初代南極観測船“宗谷”の3施設を回ってスタンプを3つ集めると、ここでしか手に入らないオリジナルグッズをプレゼントいたします。
こちらも皆さまのご参加をお待ちしています。
青海スタンプラリーの詳細はこちらをご覧ください。
https://funenokagakukan.or.jp/2026/42957/

それでは今回の【宗谷通信】は、ここまで!
以上、“宗谷”から整備係兼学芸員のアデリーがお伝えしました。


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投稿者:アデリー カテゴリー:宗谷通信 コメント:0
【宗谷通信29】“宗谷”の「てっぺん」にご注目!
こちらは、初代南極観測船“宗谷”です。

さる6月10日は“宗谷”が竣工した記念日ということで、満船飾でお祝いをしました。
船の記念日というと「起工日」「進水日」「竣工日」「就航日」などさまざまありますが、当館では「進水日(2月16日)」「竣工日(6月10日)」「南極初出港の日(11月8日)」の3つを“宗谷”の記念日としてお祝いしています。

この3つの節目を迎えた当時、船名がすべて違っていたというのも“宗谷”の興味深い経歴です。
進水時は「Волочаевец (ボロチャエベツ)」、竣工時は「地領丸(ちりょうまる)」、南極初出港時は「宗谷(そうや)」と名乗っていました。
こんなところからも波乱万丈の船生を感じ取れますね。
たくさんの名前があったことも、88歳になった今も年に3回、お祝いの日があることも、担当者としてはたいへんに嬉しく、誇らしいことと思っています。

宗通29_0610満船飾.jpg
竣工記念日の満船飾


ところで、満船飾の背後に見える「アレ」、船橋のてっぺんに足の生えた箱のようなものがありますよね。
遠くからでも突然ニョキっと生えたように見えるあの設備です。
実は、南極観測船ならではの機能なのですが、ご存知でしょうか。

宗通29_上部見張所UP.jpg
これは「上部見張所」と言い、文字通り見張りをするための小さな部屋になっています。
何を見張っているかというと、主に氷山や流氷です。
氷山や定着氷の位置が刻々と変化する南極海では、操舵室のあるブリッジよりさらに見通しの良い高所から警戒することが重要です 。衛星通信も発達していない時代ではとくに、より遠くまで見通せることが必要でした。
遠方を見渡すには、より高い場所へ上る必要があります。
そのため、一番高いところにある船橋の、さらにその上に見張所が設けられました。

宗通29_鳩小屋あおり.jpg
船橋上部の見張所(裏側)


この垂直の梯子を上って中に入ります。これ、わりと怖いんです。
単純にこの梯子の高さだけならそこまで高くないのかもしれませんが、船体の屋上にあるため、上っていくと岸壁が非常に遠く見え、さらにそれより低いところに海面が見えてくるので、高いところが苦手な方は本当に恐ろしく感じるのではないでしょうか。

今回、満船飾に合わせて見張所外板のメンテナンスを行いました。
作業のために足場を組んだので、梯子を上るよりはずっと楽に近づくことができました。
せっかくなので中を覗いてみましょう。気になる内部はこんな感じです。

宗通29_鳩小屋内部.jpg
上部見張所の内部


中はガランとしつつ非常に狭く、コンパクトなエレベーターのようで、長時間だと2人でも窮屈になりそうなサイズ感。
入って正面はさらに1段高くなっています。中央に伝声管が見えますね。

窓からの眺めを見てみましょう。
宗通29_鳩小屋眺望.jpg
上部見張所からの眺め


とっても見晴らしが良いですね!
門型マストを見下ろすことができるなんて気持ちが良いです。
この係留場所では周囲の建物に遮られてしまいますが、洋上ではきっと遠くまで見渡せたのだと想像できます。思わずヤッホーと言いたくなるところですが・・・・・・、なんだか揺れを感じます。
海面は凪いで波もありませんが、やはりここは船のてっぺん。
船は下から上にいくほど、中心から外側にいくほど揺れが大きくなります。
こんなに高い場所なので、いちばん揺れる場所なのですね。
空調もありませんので、ここでお勤めする乗組員の苦労がしのばれます。

そしてこの見張所、次世代の南極観測船へも受け継がれているのです。
2代目の“ふじ”になると、中に操舵装置も備えられ、見張りをしながら直接操艦できるようになります。それに伴い名称も「上部操舵所」と変わりました。
3代目の“初代しらせ”もそれを引き継ぎますが、現役である4代目の“しらせ”になると操舵装置は撤去され、“宗谷”と同じく「見張所」としての機能だけに戻りました。
このように、時代によって機能の進化や変遷を直接比較できるのも南極観測船のおもしろいところです。
宗通29_AGB鳩小屋.jpg
歴代南極観測船の上部操舵所/上部見張所
撮影:船の科学館


ところでこの上部見張所/上部操舵所、かわいらしい通称があるのです。
その名も「鳩小屋」。
なぜそう呼ばれるのか、これぞという理由ははっきりしないようです。
建築用語では屋上に設ける小さな箱(突出部)を「鳩小屋」と呼ぶそうなので、もしかしたらそれが由来なのかもしれません。
また、外国では船のマストにある見張り台のことを「クロウズネスト(カラスの巣)」とも呼びますので、そのあたりも関係しているのかもしれませんね。
他の艦船ではあまり見られない設備なので、南極観測船を見学する際はこの「鳩小屋」にもぜひ注目してみてください。

今回の【宗谷通信】は、ここまで!
以上、“宗谷”から整備係兼学芸員のアデリーがお伝えしました。


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投稿者:アデリー カテゴリー:宗谷通信 コメント:0

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