金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)は、象頭山(ぞうずさん)に鎮座し、古来より航海の神として崇拝され、今も海事関係者の「海上安全」の守護神として信仰されています。
金刀比羅宮では、航海の無事を願った種々の祭礼が執り行われますが、なかでも、最も重要な「例大祭」は、10月10日の例祭を中心に46日間にわたって執り行われます。
礼大祭の前日10月8日には、「多度津金刀比羅神社(熊手八幡宮)」において、禊祓(みそぎはらえ)神事が斎行されます。古くは、多度津の海岸で斎行されていましたが、正平年間(1346ー70)の兵乱により中止となり、その後は、多度津の海水と海藻を持ち帰り、執り行われているそうです。
ところで、航海の神が、なぜ山に鎮座しているのでしょうか。
海上から山を目標にして船の所在を知ることを「山あて」と言い、しばしば信仰の対象となるそうです。瀬戸内海を航行する航海者にとって、香川県の西部に位置する山「象頭山」は目印となり、いつも目にとまる神様となったと言われています。
船乗りの仕事は危険と隣り合わせなので、航海の神「こんぴらさん」への安全祈願と感謝が心の支えになったのでしょうね。
そして、瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島は、古代から海上交通の要衝として知られ、操船技術にたけた島民が活躍していました。
安土桃山時代に入ると、時の権力者の保護を受けて塩飽は栄え、塩飽の船乗りの活躍と共に「こんぴらさん」の信仰も急速に広まりました。
江戸時代に入ると、西廻り航路を走る北前船によって、瀬戸内海沿岸の港は大いに賑わい、人々の交流も盛んになりました。
「こんぴらさん」信仰も航路伝いに北陸や東北など他の地方に広まり、江戸中期には「一生に一度はこんぴらさん」と言われるほど全国に広まり、航海者の信心を集めたそうです。
明治22(1889)年11月3日、金刀比羅宮の宮司 琴陵宥常(ことおか ひろつね)氏の発起で、大日本帝国水難救済会(現 公益社団法人 日本水難救済会)が発会されました。海難救助の歴史も「こんぴらさん」から始まっていたのですね。




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