日本海軍が建造した最大の戦艦「大和」の姉妹艦「武蔵」は、大和型戦艦の2番艦として、三菱重工長崎造船所で昭和13(1938)年3月29日に起工、昭和15(1940)年11月1日に進水し、昭和17(1942)年8月5日に竣工・就役しました。
竣工は「大和」の竣工からおよそ8ヶ月後のことで、既に太平洋戦争の最中でした。
「武蔵」の基本的な性能こそ「大和」と同じでしたが、副砲塔の防御強化、25ミリ3連装機銃4基の増備などが行われていました。
また、「武蔵」には竣工時から21号電探(航空機などを探知するためのレーダー)が搭載されており、「大和」には後の昭和18(1943)年9月に設置されました。

絵画「 戦艦「武蔵」」
作:元海軍従軍美術家 松添健
寸法:640×900
所蔵:船の科学館
「武蔵」の竣工を記念して、輪島塗の香盒(香を入れる容器)が製作され、関係者に贈られたとされています。 香盒には「武蔵」の文字がどこにも記されていませんが、裏側に「竣工記念 弐六〇弐」(皇紀2602年:昭和17年)と記されています。

戦艦「武蔵」竣工記念の香盒
寸法:横幅80×厚さ10
所蔵:船の科学館
戦艦「武蔵」の竣工から約半年後の昭和18(1943)年2月、山本五十六連合艦隊司令長官は旗艦を「大和」から「武蔵」に移し、日本海軍の根拠地であるトラック島へ進出しました。
しかし、そのわずか2ヶ月後の4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官はソロモン諸島上空でアメリカ軍戦闘機に撃墜され、戦死しました。
その後の「武蔵」は物資輸送等に従事した後、昭和19(1944)年10月、史上最大規模の海戦ともいわれるフィリピン・レイテ沖海戦に挑みましたが、アメリカ空母機の猛攻撃を受け、24日シブヤン海で沈没してしまいました。
太平洋戦争では海戦の主役が戦艦から航空母艦へと移り変わり、史上最大・最強を誇った「大和」と「武蔵」も、その巨大な主砲を十分に生かすことなく航空機の攻撃によって沈没しました。二隻の運命は、戦艦の時代から航空機の時代への転換を象徴する出来事となりました。
あわせて読みたいおススメの記事















コメント
※現在、コメントに対する返信は対応しておりません。予めご了承ください。