現在のロシア・サハリン島南部にあたる南樺太は、日露戦争後、明治38(1905)年から昭和20(1945)年まで日本が統治し、外地の一つとして運営されていました。
冬のオホーツク海・宗谷海峡付近は流氷で閉ざされ、通常の貨客船では航行が困難だったことから、樺太と北海道を結ぶ樺太航路の冬季運航を支えるために 、大正3(1914)年に砕氷貨客船「弘前丸」(日本郵船)が建造され、就航していました。
しかし、「弘前丸」1隻では需要に応えきれなくなり、日本郵船は新たな砕氷貨客船の建造を計画し、横浜船渠において大正10(1921)年6月7日に「千歳丸」が竣工しました(大正12年に近海郵船に移籍)。

絵葉書「樺太 千歳丸 大泊港氷上荷役の景」
寸法:90×140
所蔵:船の科学館
砕氷貨客船「千歳丸」の概要
| 総トン数 | 2,668.7トン |
|---|---|
| 垂線間長 | 91.44メートル |
| 型幅 | 13.11メートル |
| 型深 | 7.62メートル |
| 主機 | 三連成レシプロ機関×1基 |
| 出力 | 3,955馬力(連続最大) |
| 速力 | 15.21ノット(試運転最大)、11.0ノット(満載航海) |
| 乗組員 | 71名 |
| 旅客定員 | 436名(1等26名、特3等85名、3等325名) |
竣工後、「千歳丸」は主に横浜・函館・大泊(現在のサハリン州コルサコフ) を結ぶ樺太航路に就航します。船首を強化した砕氷構造により、最大60cmの氷を砕きながら航行でき、冬季輸送を支える重要な海上インフラとして大きな役割を果たしました。

絵葉書「千歳丸の氷上荷役(樺太)」
寸法:139×88
所蔵:船の科学館
昭和期に入ると、「千歳丸」は日中戦争中に陸軍に徴用され、病院船として戦傷病兵の輸送任務に従事しました。さらに太平洋戦争中には海軍に徴用され、特設砲艦兼砕氷艦に改装されて、大湊警備府の指揮下で宗谷海峡の結氷調査や北方海域の哨戒任務に従事し、終戦後は復員・引揚輸送船として、外地からの邦人引揚輸送にも活躍しています。
戦後は国内航路船として各地で運航された後、昭和32(1957)年に岡田組へ売却され、海難救助船へ転用されました。
そして昭和36(1961)年に解体され、樺太航路から戦時輸送、戦後引揚輸送までを支えたその長い歴史に幕を下ろしました。
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