ペリー率いるアメリカ艦隊の来航を機に開国した日本(幕府)は、海防に備えて海軍を持ち、軍艦の建造・修理を行うための製鉄所(長崎製鉄所・横須賀製鉄所)を創設し、近代社会に向かいました。
そのうち、東の「横須賀製鉄所」は、小栗上野介忠順(おぐりこうずのすけただまさ)らの幕臣たちによって計画され、フランス人技師フランソワ・ヴェルニー指揮のもと、幕末の慶応元(1865)年に起工されました。
明治維新後、建設工事は新政府に受け継がれ、明治4(1871)年に第1号ドックが完成し、4月9日に「横須賀造船所」と改称されました。
小栗上野介忠順(1827-1868)は、日本初の遣米使節として渡米し、帰国後に軍制改革や近代的な横須賀造船所の建設などを推進し、「明治の父」とも称されています。来年は小栗の生誕200年を記念して、令和9(2027)年大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公(松坂桃李)として描かれます。
さて、次の錦絵は、明治29(1896)年12月に発行されたものですが、日本の近代化を象徴する「横須賀造船所」の全景が描かれ、当時の様子を伝えています。

錦絵「日本名勝図會 横須賀造船所」
寸法:370×245
所蔵:船の科学館
この横須賀造船所で最初に造られた船は、木造汽船の「横須賀丸」と「十馬力船」でした。
どちらもスクリュー船で、「横須賀丸」にはフランス製30馬力の主機、「十馬力船」には横浜製鉄所製10馬力の主機が搭載されました。

絵画「十馬力船(左)と横須賀丸(右)」
画:山高五郎
寸法:180×106
所蔵:船の科学館
30馬力船は1隻だけ造られて「横須賀丸」と命名され、慶応4(1868)年から、横須賀製鉄所が竣工するまでの仮工場「横浜製鉄所」との間(横須賀〜横浜)の定期航路に就航しました。
一方、「十馬力船」は明治以降を含めて5隻造られ、番号で呼ばれていたそうです。
次の絵画「10馬力船」は、山高五郎画伯が、明治44(1911)年4月に三菱長崎造船所に入社後、軍艦の兵装見学のため横須賀海軍工廠造兵部へ出張し、「10馬力船」に出会った時の様子を描いたもので、「10馬力船」の背後には、工廠と建造中の戦艦「河内」も描かれています。
山高は、その時のことを「妙な小蒸気船と思いつつ、毎日沖合の艦や長浦と横須賀の往復に厄介になっていた」と回顧していますが、ある日「煙突からススの塊が降ってきて、夏用の白いスーツが台無しになってしまった」と述懐しています。

絵画「10馬力船」
画:山高五郎
寸法:150×256
制作:明治44年9月11日
所蔵:船の科学館
横須賀造船所は、明治5(1872)年から所管が海軍省に移り、日露戦争直前の明治36(1903)年には横須賀海軍工廠の管轄となって多くの軍艦が建造され、敗戦まで存続しましたが、現在は在日米軍横須賀海軍施設になっています。
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