史上最大にして最強の戦艦として歴史に名を留める戦艦「大和」は、太平洋戦争開戦直後の昭和16(1941)年12月16日に竣工・就役し、翌17(1942)年2月から1年間、連合艦隊の旗艦(司令長官 山本五十六)を務めました。

絵画「戦艦「大和」」
作:野上隼夫
寸法:318×410
所蔵:船の科学館
昭和17年6月には、ミッドウェー海戦で初陣を果たすも、日本海軍は主力空母4隻、搭載全機263機を失い惨敗。「大和」は1発の砲弾を撃つことなく日本に引き返しました。
昭和18(1943)年2月には、山本司令長官は旗艦を「武蔵」に換え、トラック島に陣を構えましたが、2ヶ月後に長官戦死の事態が発生します。
その後、マリアナ沖海戦(昭和19年6月)、レイテ沖海戦(同年10月)では、「大和」が威力を発揮することなく「武蔵」「瑞鶴」などが撃沈され、日本海軍は事実上壊滅状態になりました。
「大和」にとって、このレイテ沖海戦におけるサマール島沖海戦(10月25日)で放った主砲が、最初で最後となりました。
翌26日には、「大和」はブルネイに退避中、アメリカ軍空母機から攻撃を受け、主砲塔等に命中弾を受けました。
そして、戦艦「大和」は、第2艦隊旗艦として参加した沖縄特攻作戦で最後を迎えます。

絵画「戦艦「大和」の最後」
作:野上隼夫
寸法:320×216
所蔵:船の科学館
海上特攻として沖縄に突入することを命じられた「大和」は、昭和20(1945)年4月6日に出撃し、翌7日に九州南端西方海域でアメリカ軍空母搭載の157機から波状攻撃を受けました。
約2時間の戦闘で魚雷10本、爆弾6発が命中するなど多数の至近弾を被り、大爆発を起こして海上から姿を消しました。
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