【宗谷通信25】“宗谷”の「フレーム」にご注目!
こちらは、初代南極観測船“宗谷”です。
先日令和8(2026)年2月16日は“宗谷”が進水して88周年の記念日でした。
当日は休館日のため、直前の週末である14日・15日の2日間に記念イベントを開催しました。
前週の雪はどこへやら、すっかり晴れて春のような陽気のなか、たくさんの方にお越しいただきました。多くの皆さまとともに記念日を迎えることができ、“宗谷”も喜んでいたこととと思います。
穏やかであたたかな記念日をありがとうございました!
さて、最近の整備チームはガソリン庫の整備を進めています。
ガソリン庫の場所はこちら↓
『南極観測船「宗谷」精密解剖図』に加筆
作:谷井建三
所蔵:船の科学館
作:谷井建三
所蔵:船の科学館
ガソリン庫は船首部分、錨鎖庫の裏に位置しています。第1・2次観測では倉庫として使用されていましたが、第3次観測の際に航空燃料用のタンクとして改造されました。
現在は中身を抜き、常時換気をしているため油のにおいもなく、なにもないガランとした縦長の空間になっています。
照明で壁面を照らしてみたところ、自分が勘違いをしていたことに気が付きました。
"宗谷”が南極へ行くための改造を行った際、「船体の補強のためフレーム(肋骨)を1本おきに追加した」ということは知識として知っていたのですが、単純にフレームとフレームの間へ1本を増設したのだろうと考えていました。
ところが実際に見てみたらこうなっていたのです。
(右)わかりやすいように黄色で色をつけてみました。
格子のようになった元の骨組みの上から、さらに目の粗い格子を重ねたように骨組みが取り付けられていたのです。
「1本おき」とはこういうことだったのかと、見事な技術に思わず息をのんでしまいました。
接合部をよく見ると外側と内側でリベットの形が異なっていて、後から内側に補強材を追加したことがわかりますね。既存の船体にこのような補強を施すには途方もない手間と労力が必要だっただろう、と先人たちの技巧に頭が下がる思いでした。
ましてや南極から帰港して、次の出航までのわずか半年ほどの短い期間にこのような工事を行っていたのかと思うと、ただただ感嘆するばかりです。
“宗谷”で南極へ行った方々の手記やインタビューを読むと、「丈夫な船だった」「不安はなかった」という趣旨の言葉が多く見られます。それはこうした確かな技術があってこその信頼関係だったのだと、一人で胸を熱くする筆者なのでした。
この改造にあわせて、消火設備としてCO2ルームも完備されました。
昭和30年代のCO2消火システムは当時、時代の最先端でした。
“宗谷”にはこうした先人たちの工夫や努力の跡がうかがえるポイントが随所に残されています。当時、この小さな貨物船を改造して南極へ向かうということがどのようなことだったのかが伝わってくる、まさに挑戦の歴史そのものだと改めて実感できる船です。実際にご覧いただくことが難しい部分も多々ありますので、少しでも当時の熱意や技術の重みなどをこうして少しでもお伝えできれば幸いです。
ところで、フレームには1本1本番号がついています。
これはいわば船の番地のようなもので、船内の位置を正確に示すことができるようになっています。
“宗谷”の場合、船尾から船首へ向かって番号が振られているので、若番の118(写真左側)が船尾方向だとわかります。
番号の振り方は造船所や設計基準によって異なりますが、海上保安庁の船舶は船尾から順番に振っていく方式を採用しています。いっぽう、海上自衛隊の艦艇は船首からとなっているそうです。
船によっては船内通路など、目に見える場所にもこのフレーム番号が表示してあることもありますので、乗船の機会がありましたら、こんなところも注目してみると面白いかもしれません。
今回の【宗谷通信】は、ここまで!
以上、“宗谷”から整備係兼学芸員のアデリーがお伝えしました。
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