大阪商船・別府航路の客船「みどり丸」は、昭和3年12月5日から就航
大阪商船(現・商船三井)の別府航路は、明治45(1912)年に紅丸によって開設されましたが、別府温泉の発展とともに乗客が増加し、大正10(1921)年以降は、紫丸・屋島丸・紅丸(2代目)の3隻が1日1往復の定期運行を行っていました。
その後、別府航路の人気は益々上昇し、大坂商船は乗客増加に対処するため、1日2往復を計画し新造船2隻の建造を決め、三菱神戸造船所に発注しました。
それが昭和3(1928)年4月26日に起工した、姉妹船の「みどり丸」と「すみれ丸」でした。
次の絵葉書から、当時の別府航路の人気ぶりがうかがえます。

絵葉書「別府桟橋みどり丸出港(別府名所)」
寸法:90×142
所蔵:船の科学館
客船「みどり丸」は、昭和3年11月30日に竣工すると、12月5日に大坂天保山を出港し、別府航路に就航しました。
客船「みどり丸」の概要
| 全長 | 78.02メートル |
|---|---|
| 型幅 | 11.58メートル |
| 型深 | 5.97メートル |
| 総トン数 | 1,724.78トン |
| 主機 | ディーゼル機関×2基 |
| 出力 | 2,138馬力(連続最大) |
| 速力 | 16.35ノット(試運転最大) |
| 乗組員 | 60名 |
| 旅客定員 | 729名(1等46名、2等148名、3等535名) |
翌4年に姉妹船「すみれ丸」が加わると、大阪商船の別府航路は5隻体制になり、黄金時代を迎えました。
ところが、昭和10(1935)年7月3日深夜、小豆島沖で「みどり丸」と大連汽船の貨物船「千山丸」が衝突事故を起こし、「みどり丸」の乗客99名と船員8名の計107名が犠牲になりました。
当時の天候は濃霧だったそうですが、衝突時に「千山丸」の船首が「みどり丸」の中央機関室付近に喰い込み、大穴が空き、わずか4分で沈没したことから、この事故は、客船の安全設計に大きな教訓を残しています。
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