今から500年ほど前の1519年9月20日、スペインの援助を受けたポルトガル人航海者フェルディナンド・マゼランは、アジアへの開拓を目指すため、5隻の船を率いてスペイン南部のサンルカ港から西回りで世界一周の航海に出航しました。
大航海時代に入るとヨーロッパの国々が、大西洋やインド洋に進出しました。なかでも、15世紀初めから、まずポルトガルが、やや遅れてスペインが大海に乗り出しました。かつては陸路経由で入手できた胡椒をはじめとする香辛料、絹、宝石等のアジアの物産品が、オスマン・トルコ帝国の出現により入手が困難になり、産地であるアジアと直接交易をするため、海路を見つける必要に迫られたのでした。
翌1520年11月28日、マゼラン隊は、後に「マゼラン海峡」と命名される南米大陸南端の海峡を通過し、太平洋に出ました。
「マゼラン海峡」は南米大陸南端とフエゴ島の間の海峡で、全長560km、幅3〜30km、水路が複雑で航海上の難所とされています。パナマ運河が開通する1914年までは、大西洋と太平洋を結ぶ主要な通路でした。
また、マゼランは、初めて太平洋を発見・横断した人物としても称えられ、マゼランが名付けた「Pacific Ocean =平和な・穏やかな大洋=太平洋」は今も使われ続けています。
その後、1521年3月6日にマリアナ諸島を発見し、グアム島を経てフィリピンに到着しましたが、キリスト教への改宗などの服従を要求したところ、反発され、争いになり、4月27日にマゼランはセブ島の原住民に殺されました。
マゼランの死後、部下のエルカーノが指揮を引き継ぎ、残った船1隻「ヴィクトリア号」で航海を続け、1522年9月22日にスペイン・サンルカに帰港しました。マゼラン隊は史上初の世界一周を達成し、世界の交易を一変させる功績を残しました。

油彩画「海の偉人肖像画 マゼラン」
作:馬堀法眼喜孝
額寸法:835×715×53
所蔵:船の科学館





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