戦後復興に貢献した「橋立丸」、昭和23年8月5日にペルシャ湾重油積取り第1船として就航
太平洋戦争中、昭和19(1944)年に戦時標準型オイルタンカーとして建造され、戦後、捕鯨母船に改造されて昭和21年11月から南氷洋捕鯨に従事していた日本水産の「橋立丸」(10,896総トン)は、昭和23(1948)年8月5日、戦後わが国タンカーによるペルシャ湾重油積取り第1船として横浜を出港しました。
そして、続いて戦時標準型オイルタンカーを主体とする8隻が、同じくペルシャ湾に向かいました。
戦後、日本への石油供給はGHQが管理し、アメリカの軍用オイルタンカーを使って輸送していましたが、昭和23年にはいると、産業の復興に伴って日本国内の石油需要が増大し、アメリカ軍が自力で日本向けの石油輸送を確保することが難しくなりました。
そこで、日本の需要は日本船で賄うことになり、残された貨物船を整備して石油輸送を行うことになったのです。

写真「捕鯨母船「橋立丸」」
所蔵:船の科学館
ペルシャ湾から戻った「橋立丸」は、同年11月13日、捕鯨母船「橋立丸」として横浜港を出港し、南氷洋に向かっています。
戦後の捕鯨・石油輸入に従事した「橋立丸」は、日本の復興に大いに貢献した船と言えましょう。
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