明治23(1890)年、利根川と江戸川を結び、千葉県北西部の野田・流山・柏を流れる全長8.5キロメートルの「利根運河」が、オランダ人技師ムルデルの指揮のもと、およそ2年の歳月をかけて完成しました。
「利根運河」は日本初の西洋式運河として、明治23年2月25日に全線通水、6月18日に竣工式が行われ運用が開始されました。以来、昭和16(1941)年に大洪水による打撃を受けるまで、約50年にわたって関東の水運を支える役割を担っていました。
現在は、流山市には運河沿いに自然を活かした「運河水辺公園」が整備され、地域の憩いの場になっています。

「運河水辺公園」 出典:写真AC
ところで、江戸時代には、北海道や東北の物資は、東廻り航路で銚子に運ばれ、高瀬船や艜船(ひらたぶね)等の川船に積み替えられて、利根川を上って江戸に運ばれていました。

船舶模型「高瀬船(1/20)」
寸法:1240×230×160
所蔵:船の科学館

船舶模型「艜船(1/20)」
寸法:1230×238×150
所蔵:船の科学館
しかし、利根川は江戸川、鬼怒川との合流地点に土砂が堆積し、川船が通りにくくなっていたため、荷物を早く・安く運ぶために、運河建設への機運が高まりました。
「利根運河」の開通によって、航路は約40キロメートル短縮され、3日を要していた輸送が1日に短縮され、まさに流通革命が起きました。運河開通の翌年には、和船を中心に約37,000隻が航行し、最盛期の明治末期には1日100余隻が航行したそうです。
ところが、明治29(1896)年に日本鉄道土浦線(現・常磐線)が開通すると、物流の担い手は船から鉄道に移り、「利根運河」を利用する船は徐々に減少していきました。
そして、昭和16(1941)年7月、台風による洪水によって「利根運河」は壊滅的な被害を受け、役割を終えました。
開通から閉鎖までの半世紀に、100万隻にのぼる船が「利根運河」を航行したと言われています。
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