嘉永6(1853)年に黒船が来航すると、幕府は欧米列強への対抗に迫られ、水戸藩に隅田川河口の石川島に造船所の建設を命じ、最初の洋式木造帆船「旭日丸」が建造されました。
明治維新後、この石川島造船所(現・(株)IHI)は幕府から明治政府に移り、主に軍艦の修理を手がけていましたが、横須賀造船所が完成して必要性がうすれると閉鎖され、明治9(1876)年10月、平野富二がその造船所を借り受けて石川島平野造船所を設立しました。
そして、翌年の明治10(1877)年2月、同造船所の最初の建造船となる木造外輪蒸気船「通運丸」(34総トン)が完成し、同年5月1日から内国通運会社(現・日本通運(株))によって、東京・深川扇橋から江戸川・利根川を航行し、生井村(栃木県小山市)間に就航しました。
また、「通運丸」は、同造船所の最初の建造船であるだけでなく、日本の民間造船所で最初に建造された船として、日本造船史にその名を残しています。
「通運丸」(34総トン)の概要
| 総トン数 | 34トン |
|---|---|
| 長さ | 約21.8メートル |
| 幅 | 約2.7メートル |
| 深さ | 1.36メートル |
| 出力 | 20馬力 |
| 平均時速 | 約6ノット(約11キロメートル) |
「通運丸」は船体の両側面につけた水車を回転させて航行しました。
喫水が浅く、スクリュー推進よりも進退が自由なため、河川での航行に適しており、内国通運会社は同型船を40隻ちかく建造し、江戸川や利根川の内陸航路に就航させました。
その「通運丸」型の大きさや形状は様々で、30総トン〜90総トンのタイプがありました。
当館が所蔵する船舶模型は、京都科学で制作したもので、60総トンの 「通運丸」型を1/20縮尺で再現しています。

船舶模型「外輪蒸気船 「通運丸」型(1/20)」
寸法:1,100×225×280
所蔵:船の科学館
「通運丸」(60総トン)の概要
| 総トン数 | 60トン |
|---|---|
| 長さ | 約22メートル |
| 幅 | 約3.3メートル |
| 深さ | 1.2メートル |
| 出力 | 13馬力 |
| 平均時速 | 約6ノット(約11キロメートル) |
次の錦絵には、両国橋のたもとにあった内国通運会社の通運丸乗船所と、隅田川を航行中の「通運丸」が描かれています。
乗船所には「通」と書かれた社旗が掲げられ、入口には「郵便御用蒸気通運丸乗船所」と書かれた看板が掛けられています。また、「通運丸」の船首には日章旗、船尾には郵便旗が掲げられています。

錦絵「東京両国通運会社 川蒸気往復盛栄真景之図」
作:野澤定吉
寸法:362×725(三枚続)
所蔵:船の科学館
ところが、明治29(1896)年に日本鉄道土浦線(現・常磐線)が開通すると、物流の担い手は船から鉄道に移り、「通運丸」は大正8(1919)年に東京通船(株)に譲られます。その後は利根川や江戸川、霞ヶ浦周辺で姿を留めていましたが、昭和初期に姿を消しました。
次の絵葉書には、利根川河口付近にあった銚子港桟橋の写真が使われていますが、通運丸型の蒸気船が写っています。

絵葉書「絵葉書 銚子名勝 銚子港桟橋」
寸法:89×140
所蔵:船の科学館
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