東洋汽船設立後、明治31年4月23日に貨客船「日本丸」が進水
明治28(1895)年4月、日本優勢のうちに日清戦争が終わると、日本は産業革命を大きく推進しました。
海運業においても、明治26年の汽船は400隻・16万7,000総トンでしたが、明治28年には528隻・33万1,000総トンに急増しました。
また、明治29(1896)年には、日本船の性能改善と外国航路進出を助成する「航海奨励法」、造船業の振興を目的とする「造船奨励法」が成立し、大型鉄鋼汽船に奨励金が交付されるようになりました。
こうしたなか、明治29年には、日本郵船はヨーロッパ・シアトル・オーストラリアへの遠洋3航路を開設し、川崎造船所(初代社長 松方幸次郎)、東洋汽船(創業 浅野総一郎)が設立されています。
東洋汽船は、当時アメリカのPM社(パシフィック・メール)が独占していた香港・日本・サンフランシスコ航路に進出するため、渡米して粘り強い交渉を行い、PM社とO&O社(オリエンタル社)との共同運航交渉をまとめ、新造船の建造にとりかかりました。
翌30年には浅野自らイギリスに出向き、6,000総トン型の貨客船3隻の建造を発注し、その第1船「日本丸」が、Sir J.Laing造船所において明治31(1898)年4月23日に進水しました。

絵葉書「マストが2本になった後年の「日本丸」」
所蔵:船の科学館
「日本丸」の概要
| 総トン数 | 6,047.98トン |
|---|---|
| 垂線間長 | 127.41メートル |
| 型幅 | 14.93メートル |
| 型深 | 8.96メートル |
| 主機 | 三連成レシプロ機関×2基 |
| 出力 | 7,500馬力(計画) |
| 速力 | 18.0ノット(試運転最大) |
| 旅客定員 | 503名(一等106名、二等14名、三等383名) |
「日本丸」に続いて、姉妹船の「亜米利加丸」はSwan&Hunter造船所で明治31年3月9日に、「香港丸」は「日本丸」と同じSir J.Laing造船所で明治31年7月7日に進水しています。
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