明治7(1874)年に起きた日本と清国との国際紛争(台湾出兵)に伴い、明治政府は、13隻の中古船を香港で買い付け、その運航を三菱商会に委託しました。
そして紛争終了後、三菱商会はこの13隻のうちの4隻を使用して、明治8(1875)年に日本初の外航定期航路である横浜〜上海航路(週1便、寄港地は神戸・下関・長崎)を始めました。
その開業第1船は、外輪推進の木造汽船「東京丸」(2,217総トン)で、明治8年2月3日に横浜を出港しました。この「東京丸」には岩崎彌之助(副社長)が乗船し、岩崎彌太郎(創始者)が埠頭から見送っていたそうです。
「東京丸」は、1864年にアメリカで建造された木造外輪汽船で、原名は「ニューヨーク」でした。明治18(1885)年、日本郵船設立時に新会社に移籍しましたが、後に売却され、最後は江田島で海軍兵学寮(後の海軍兵学校)の仮校舎に用いられています。

絵画「S.S. NEW YORK」
作:山高五郎
寸法:142×236
所蔵:船の科学館
ところで、当時の内外航路を独占していたのは、外国の船会社でした。
安政6(1859)年にはイギリスのP&O(ペニンシュラ・オリエンタル)が上海〜長崎航路を開設し、慶応4(1868)年にはアメリカのPM社(パシフィック・メール)が横浜〜神戸〜長崎〜上海航路を開設し定期船を走らせていました。
そのような中、三菱商会は明治8年、PM社の牙城であった横浜〜上海航路に「東京丸」を就航させ、その熾烈な競争を数ヶ月で打ち負かし、PM社が持つ上海の埠頭や倉庫、4隻の使用船等を買い取りました。
そして政府は、上海航路開設後、政府が購入した13隻全てを三菱商会に無償で払い下げるとともに、運航助成金として年額25万円を支給することを決めました。
三菱商会は郵便物の輸送や有事の際の船の提供等の義務を負いますが、日本の海運界を代表する企業として躍進を遂げています。
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