第一次世界大戦後の日本の商船隊は、アメリカ・イギリスに次ぐ世界第3位になっていましたが、中身をみると老朽船や戦時中に急造された低性能な船がほとんどでした。
そこで、日本の船会社は、ヨーロッパで実用化が進みつつある「ディーゼル主機」に注目し、運航コストの安い経済的な優秀船を建造して、海運不況を乗り切ろうとしました。
なかでも大阪商船は、ディーゼル主機の導入に特に積極的で、大正13(1924)年から翌14(1925)年にかけて1,650万円の社債を募集して、ディーゼル船隊の整備計画を作りました。
その第1船が、三菱重工神戸造船所で大正13(1924)年1月25日に竣工した大阪山陽線の小型客船「音戸丸」(688総トン)、第2船が大阪鉄工所で大正13年9月に竣工した別府航路の客船「紅丸」(1,540総トン)でした。

絵葉書「音戸丸」
寸法:89×140
所蔵:船の科学館
「音戸丸」にはイギリスのヴィッカーズ社製のディーゼル主機が装備され、日本で最初のディーゼル商船の誕生でした。
本船は重油燃焼型であるため排煙の心配が無く、完成時は煙突が省略されていましたが、後に社標取り付け等の点から中央に煙突が新設されたそうです。
「音戸丸」の概要
| 総トン数 | 688トン |
|---|---|
| 垂線間長 | 51.81メートル |
| 型幅 | 8.53メートル |
| 型深 | 5.57メートル |
| 主機 | ディーゼル機関1基 |
| 出力 | 915馬力 |
| 速力 | 12.35ノット(試運転最大) |
| 定員 | 旅客418名(二等89名、三等329名)、乗組員37名 |
「音戸丸」は大正13年2月から大阪山陽線に就航し、翌年4月に加わった姉妹船「早鞆丸」「三原丸」と共に、大阪〜神戸〜坂出〜高松〜多度津〜尾道〜竹原〜音戸〜吉浦〜宇品〜宮島〜柳井〜三田尻〜門司 間を4日間で航行しました。
その後、「音戸丸」は昭和10(1935)年に摂陽商船に移籍、昭和13(1938)年に日清汽船に売却、翌年14(1939)年に国策会社・東亜海運の設立と共に移籍され、15年に除籍されています。
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