令和6(2024)年7月3日から、3種類の新たな紙幣が発行されました。
そのうち、千円札の表面には細菌学者の北里柴三郎の肖像がデザインされ、裏面には、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景・神奈川沖浪裏』が描かれています。
錦絵「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏(複製)」
作:葛飾北斎
寸法:270×405
所蔵:船の科学館
ところで、葛飾北斎はどのような生涯を送ったのでしょうか。
北斎は、宝暦10(1760)年9月23日、江戸の本所割下水(わりげすい・現在の東京都墨田区亀沢辺り)で生まれ、幼名は時太郎、後に鉄蔵に改めたと伝えられています。
安永7(1778)年、満18歳の時に、当時人気の浮世絵師・勝川春章に入門して錦絵を描き始め、34歳までの16年間、役者絵を中心に美人画や相撲絵等を手がけました。
寛政6(1794)年に勝川派を離れると、35〜45歳までの時代は諸派の画風を学び、美人画や洋風風景画、狂歌絵本の挿絵などを描いています。
また、宗理、北斎宗理、北斎辰政と次々に画号を変えていますが、北極星を意味する「北斎」という画号だけは後々までこだわったそうです。
45歳から52歳になると、滝沢馬琴と組んで精力的に読本(挿絵入りの小説)の挿絵を描いています。
葛飾北斎が40歳代に試みた洋風風景画の中に、「神奈川沖浪裏」の構図に酷似し、波の表現を試行錯誤していたと考えられている作品があります。
錦絵「おしおくりはとうつうせんのず(複製)」
作:葛飾北斎
寸法:185×244
所蔵:船の科学館
錦絵「賀奈川沖本杢之図(複製)」
作:葛飾北斎
寸法:230×363
所蔵:船の科学館
53歳から70歳には、北斎の代表作の一つとされる絵手本「北斎漫画」の刊行が始まり、その後、71歳から74歳(天保元年/1830年から天保4年/1833年)までの間には、北斎の代表作であり浮世絵風景画の代表作「冨嶽三十六景 」を刊行し、大ヒットしたことで、1枚摺りの錦絵の注文が多くなりました。
錦絵のブームが去ると、75歳からは肉筆画に傾倒しましたが、嘉永2(1849)年春、90歳で生涯を閉じました。
錦絵「冨嶽三十六景 武揚佃島(複製)」
作:葛飾北斎
寸法:268×416
所蔵:船の科学館
あわせて読みたいおススメの記事
コメント
※現在、コメントに対する返信は対応しておりません。予めご了承ください。