1853(嘉永6)年8月28日(旧暦)は、東京の品川沖に台場(砲台)築造の命令が出た日です。
きっかけは、有名な「黒船来航」です。
この年の6月3日(旧暦)、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む軍艦4隻が日本に来航、艦隊は江戸湾入り口の浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)沖に停泊しました。
幕府から久里浜上陸を認められた艦隊の長ペリーは、開国を促す大統領国書を幕府に渡しています。
アメリカは、捕鯨船等の補給拠点として、太平洋に面する日本の寄港地として、軍事的威嚇によって日本を開国させようとしました。
下の絵図は、ペリーが乗船していた外輪蒸気艦船「サスケハナ」です。
鎖国政策をとっていた日本にはない、外洋航海ができる大型汽帆船です。

絵図:嘉永六年六月浦賀表江 北亜美理加國蒸気舩之図
寸法(mm):495×685
所蔵:船の科学館
艦上に大砲があることがわかります。
この大砲は最新の炸裂弾が発射可能でした。
それまでの鋳鉄弾が着弾時に物理的な破壊力のみであったのに対し、シェル(炸裂)弾は着弾すると中に入っている炸薬が爆発するため殺傷力が極めて高く、さらに火災が発生する可能性もありました。サスケハナに乗艦した浦賀部供与力の中島三郎助はそれに気が付いています。
初めて見る汽帆軍艦(蒸気動力による外輪と帆を推進力とした船)、殺傷力の高い最新の大砲に、幕府、日本人は相当驚いたことでしょう。
幕府から翌年までの猶予を求められたペリーは、いったん横須賀を離れました。
江戸湾の海防に危機感をいだいた幕府は、すぐに台場(砲台)の築造を決定しました。
ペリー来航から台場築造決定までの期間の短さは、幕府の焦りをよく表しているといえるでしょう。
さて、ペリーについては教科書や史料で肖像画を見たことがある方も多いと思います。

絵画:海の偉人肖像画 ペリー
作:馬堀法眼喜孝
寸法(mm):630×510
所蔵:船の科学館
このほかに、当館はちょっと変わった肖像画を所蔵しています。

版本「異国落葉篭(イコクオチバカゴ) 全」
制作:東都 隠学堂
所蔵:船の科学館
「異国落葉篭」は、複数のかわら版をまとめたもので、ペリー来航時には庶民の情報誌として定着していたようです。いまでいうとインターネットのまとめサイトのようなものかもしれませんね。
ペリー来航をまとめたこの版には、この肖像画のほかアメリカ大統領からの親書や蒸気船の図、交換した献上品の内容などが書かれていました。





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