日本開国の交渉の任に就いたペリーを乗せた蒸気フリゲート「ミシシッピ」は、1853(嘉永6)年3月29日にシンガポールを出港し、4月7日に7番目の寄港地・香港に到着し、帆走スループの「プリマウス」「サラトガ」、帆走補給艦「サプライ」に出会いました。
後に、ペリー艦隊の旗艦となる「サスケハナ」は、既に上海に向けて出港していました。
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「ミシシッピの航路図」
所蔵:船の科学館
香港で出会った帆走スループとは、どのような帆船だったのでしょうか。
「サラトガ」を例にとって見てみましょう。

絵画「帆走スループ 「サラトガ」精密側面図」
作:谷井建三
寸法:193×276
所蔵:船の科学館
帆船時代の軍艦(24門以上)は、大砲の数によって戦列艦(60門以上)とフリゲートに分けられ、フリゲートは、通常、大砲を24〜40門備え、偵察などを主な任務にしていました。
フリゲートの次にランクされた「スループ」は、2・3本のマストと20門前後の大砲を備えていました。
「サラトガ」は、木造3本マスト、シップ型帆走スループで、1843(天保13)年1月にポーツマス海軍工廠で完成し、アフリカ艦隊・メキシコ艦隊・西インド艦隊に配属後、東インド艦隊所属となり日本遠征に参加しました。
「サラトガ」の概要
| bmトン(※) | 882トン |
|---|---|
| 垂線間長 | 44.60メートル |
| 型幅 | 10.74メートル |
| 深さ | 4.95メートル |
| 帆装 | 3本マストシップ型(帆の総面積 不明) |
| 備砲 | 22門(8インチ・シェルガン 4門、32ポンド砲 18門) |
| 乗組員 | 210人 |
※ビルダーズ・メジャーメント(builer's measurement)は、長さと幅だけを使用して積載能力を計算する推定法で、アメリカ海軍では1865年まで使用されていました。
ところで、当館は、海軍の従軍画家が描いた作品を所有していますが、その中から「香港」が描かれた作品を2点ご紹介します。
従軍画家は宣伝効果を期待した戦地の情景を描きましたが、穏やかな風景が描かれた作品もありました。

絵画「於香港」
作:海軍従軍画家 木下五郎
寸法:143×293
所蔵:船の科学館

絵画「香港所見」
作:海軍従軍画家 木下五郎
寸法:660×660
所蔵:船の科学館
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