関門海峡の東の玄関口に建つ「部埼灯台(へさきとうだい)」(福岡県北九州市)は、明治5(1872)年1月22日に点灯し、高さ9メートル、海面から39メートルの高さから17.5海里(約32キロメートル)を灯し、日本有数の難所の航行を見守っています。
「部埼灯台」 出典:写真AC
「部埼灯台」は、兵庫開港に備えて、慶応3(1867)年4月、幕府とイギリスとの間で締結した「大阪条約」で設置を約束した5灯台(友ヶ島、江崎、和田岬、六連島、部埼)の一つで、明治新政府が引き継いで建設されました。
重厚な石造りの洋式灯台は、日本の灯台の父と称されるイギリス人技師R.H.プラントンの設計で、現存する灯台として九州最古の灯台です。
また、この灯台には、明治42(1909)年から、関門海峡東端の最狭部の水道「早鞆瀬戸(はやとものせと)」の潮流を知らせる「潮流信号所」が併設されています。
ところで、灯台の下の青浜海岸には、部埼灯台の由来として語り継がれている「僧 清虚(そう せいきょ)」の立像が建立されています。
「僧 清虚の立像」 出典:写真AC
大分県国見町出身の僧 「清虚」は、天保7(1836)年、下関から高野山へ修道に向かう船中で、部埼に向かって念仏を唱える乗客から、部埼周辺の海は暗礁が多く、航海の難所となっていることを聞くと、高野山行きを断念して、この地で船の道標となる火を焚き続けることを決意しました。
清虚は、日中に托鉢で得た糧を焚料の買い入れにあて、74歳で亡くなるまでの13年間、雨の日も風の日も、読経とともに火を焚き続け、航海の安全を祈ったそうです。
その思いが明治の代まで受け継がれ、部埼灯台の礎になっています。
昭和48(1973)年には、地元有志により立像が建立され、灯台と共に航海の安全を見守り続けているのです。
「部埼灯台」は第50回灯台記念日(平成10年11月1日)に行われた公募「灯台50選」では、人の心に残る日本の灯台50選に選ばれ、令和2(2020)年には旧官舎と共に国の重要文化財に指定されています。
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