ロシア使節プチャーチン提督の軍艦ディアナ号、安政元年11月4日に発生した安政地震で大破
ロシア政府は、日露両国民が混在する樺太・千島列島の国境確定と通商条約の締結を目的として、嘉永7年10月15日(1854年12月4日)、プチャーチン提督を使節に、軍艦「ディアナ号」が下田に来航しました。
「ふじのくに田子の浦みなと公園 歴史学習施設ディアナ号」 出典:写真AC
第1回目の交渉が行われた翌日、安政元年11月4日(1854年12月23日)に紀伊半島南部を震源とする「安政東海地震」、翌5日に「安政南海地震」が発生し、伊豆から四国までの広範な地帯に甚大な被害をもたらしました。
この地震と幾度となく押し寄せる津波により、下田は壊滅的な被害を受け、碇泊していた軍艦「ディアナ号」の船体も酷く損傷し、大破しました。
日本財団図書館『日露友好150周年記念特別展「ディアナ号の軌跡」報告書』には、ゴンチャローフの『日本渡航記』、『ロシア海軍省の記録』に記述された、津波を受けたディアナ号の壮絶な様子が紹介されています。
潮流のまにまに四方八方へ振り回され、浸水も激しく、竜骨の一部がもぎとられて舵を失い、乗組員に死傷者が出る惨状でした。
被災後、ディアナ号は修理のため西伊豆の戸田へ回航する途中、暴風雨で遭難し、富士市の三四軒屋沖まで流され沈没しました。乗組員は地元住民の救助活動によって救助されています。
昭和51(1976)年8月、水深24メートルの海底に沈んだ錨が引き揚げられ、富士市指定有形文化財に指定されています。
「ロシア軍艦ディアナ号の錨」 出典:写真AC
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