明日9月10日から、令和五年大相撲九月場所が国技館(東京都墨田区)で始まります。
国技とされる相撲は、日本の文化に深く根ざし、江戸時代には全国で勧進相撲が行われるようになり、相撲、歌舞伎、吉原遊郭は江戸の三大娯楽となりました。中でも相撲は、庶民の娯楽として熱狂的な人気がありました。
歌川広重「名所江戸百景・両ごく回向院元柳橋」には、相撲興行を知らせる櫓(やぐら)太鼓と、その奥に隅田川と江戸の町、富士山が描かれています。
高さ5丈7尺(約17メートル)から打ち鳴らされた太鼓は、江戸中に響き渡ったと言われています。
相撲の初興行は深川の富岡八幡宮でしたが、後に両国の回向院(えこういん)に移り、現代は国技館で行われています。
元柳橋は、隅田川の対岸に見える太鼓橋のことです。

「名所江戸百景・両ごく回向院元柳橋」
作:初代 歌川広重
出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」
さて、ゆったりと流れる隅田川には、川船が行き交う様子が描かれていますが、手前の小舟は、流しのタクシー的存在の「猪牙船(ちょきぶね)」と思われます。
猪牙船は、速力を出すため、長さの割に幅が狭く船底を絞っているのが特徴で、これが櫓を漕ぐときの横揺れを大きくして櫓の推進力を増幅させ快速を誇っていました。
水押(船首)が反り上がって猪の牙の様だったので、この名が付いたと言われています。正徳4(1714)年に櫓二挺立が禁止され、それ以後一挺立となりました。

船舶模型「猪牙船 (1/20)」
寸法:600×80×80
所蔵:船の科学館
対岸右端にはハイヤー的存在の「屋根船」が描かれています。
屋根船は、大型で豪華な屋形船に対して、手軽な船遊びや交通手段に使われました。
正式には「日除船(ひよけぶね)」と呼ばれて屋形船とは区別され、船型や水押(みよし)、屋根の造りの違いから一見して判別できます。
武士以外は障子を立てることが禁じられ、庶民はすだれを用いましたが、これも風紀上の問題からおろすことは制限されていました。

船舶模型「屋根船 (日除船) (1/20)」
寸法:440×110×90
所蔵:船の科学館
中央には白い帆を張り、積荷を満載した川船が描かれていますが、この船は「ひらた船」だと思われます。
大型川船には類似した高瀬船がありますが、船首に一本水押が見えるように描かれていることから、「ひらた船」ではないかと考えられます。
陸上交通に比べて能率や経済性に優れている河川交通は、年貢米や商品輸送の増大によって著しく発達したのです。

絵図「艜船(ひらたぶね)」
所蔵:船の科学館
この「艜船(ひらたぶね)」は、関東一円 利根川水系の川船、海川兼用船を描いた識別図鑑『船鑑』に描かれている絵図です。
『船鑑』は、高瀬船、五太力船等、和船の描かれた三十三枚の図面から成り、彩色された詳細な船の構造図に各部分の名称が記入され、巻子仕立ての一巻(寸法:280×17,130)になっています。
絵図『船鑑』は、当館ホームページ「収蔵物データベース」からご覧いただけます。
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