現在、東京都中央卸売市場は豊洲にありますが、大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災後、東京改造計画によって築地へ移転するまでは日本橋にありました。
「日本橋魚市場」の始まりは、17世紀の初めに、摂津から移住した森孫右衛門らが徳川将軍家へ献納した余りの魚を本小田原町一体(現・日本橋本町1丁目、日本橋室町1丁目)で売りさばいたのが最初であると言われています。
その後、江戸の人口増加と共に魚市場は繫栄し、日本橋川の北岸一帯に魚問屋・魚仲買・汐待茶屋・飲食店などが立ち並び、早朝から賑わいました。
日本橋魚市場は江戸の名所として錦絵にも描かれています。

錦絵「日本橋魚市繁栄図」
作:歌川国安
出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」
「日本橋魚市繁栄図」では、日本橋川にかかる橋まで混雑し、大勢の人々で賑わう魚市場が描かれています。鯛やアワビなどを運ぶ様子、人々の表情もよくわかりますね。

錦絵「冨嶽三十六景・江戸日本橋」
作:葛飾北斎
出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」
ところで、日本橋魚市場には、江戸湾を中心に関東周辺の漁村から、高速の小船「押送船(おしおくりぶね)」で鮮魚が運ばれていました。

船舶模型「押送船 (1/20)」
寸法:548×185×55
所蔵:船の科学館
押送船は、帆を用いず、櫓を押して走ることからこの名になりました。
鮮魚の他に米穀や薪炭なども運び、江戸を中心とする商品流通に少なからぬ役割を果たしました。
本来は海船ですが、江戸市中の河岸などに乗り入れるため、川船奉行の統制支配下にありました。また、快速性や凌波性が買われて浦賀奉行所などの番船としても重用されました。
「押送船」といえば、葛飾北斎の最高傑作「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」(製作年1831‐33頃)が有名ですが、北斎はその25年ほど前に、原型の一つと言われる作品「おしおくりはとうつうせんのず」(製作年1806‐08頃)を描いています。

錦絵「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」(複製)
作:葛飾北斎
寸法:270×405
所蔵:船の科学館

錦絵「おしおくりはとうつうせんのづ」(複製)
作:葛飾北斎
寸法:185×244
所蔵:船の科学館
「おしおくりはとうつうせんのづ」は「神奈川沖浪裏」と酷似した構図で、高波に逆らう「押送船」が描かれています。
平仮名を横書きにした題名は、ローマ字の雰囲気を出そうとしたのでしょうか?北斎の遊び心かも知れませんね。
錦絵「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」「おしおくりはとうつうせんのづ」は、文化遺産に登録されています。
「日本橋魚市場」は、東京改造計画で築地への移転が決まりましたが、移転に反対する人が多く、移転が完了するまでに10数年を要しました。
築地に移転するまで、300年以上にわたって江戸・東京の食生活を支え続けました。
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