北海道根室半島の先端に建つ「納沙布岬灯台」は、日本最東端の灯台(北緯43度23分07秒 東経145度49分01秒)で、日本の灯台の父と称されるイギリス人技師R.H.プラントンの設計・指導のもと、高さ13メートルの木造六角形の灯台が建てられ、北海道初の灯台として明治5年7月12日(新暦1872年8月15日)に点灯しました。
現在の灯台は、昭和5(1930)年にコンクリート造りに改築されたもので、高さ14メートル、海面から23メートルの高さから14.5海里(約27キロメートル)を灯し、海上交通の安全を守り続けています。
さて、北海道開拓は、明治2(1869)年から始まります。
明治新政府は、蝦夷地を北海道に改称し、北海道開拓のための中央官庁「開拓使」を設置し、大規模な開発と北方警備等に着手しました。
北海道開拓は、文明開化を急ぐ明治政府の重要な事業の一つで、毎年、政府予算の1割を超える資金が投じられ、新しい世界が生まれようとしていたのです。
当時、北海道の大部分は、原生林が生い茂り、土地の開墾、鉄道・道路等の整備が不可欠でした。そして何よりも、人と物資の輸送を担うのは船だったので、船が安全に停泊できる港や、安全運航に必要な灯台の建設を急ぐ必要がありました。
書籍『海と灯台学 日本財団 海と灯台プロジェクト』によれば、明治期に北海道に建設された灯台は26基(うち現存する灯台は22基)で、北海道の航路開拓が急がれた様子がわかります。
そして、厳しい冬をまたいで建設することが困難なため、コストがかかるけれど短期間での建設が可能な「鉄造灯台」が多く建設されています。
根室半島は、右は太平洋、左はオホーツク海で、前方にはロシアが実効支配している歯舞群島の水晶島があり、その間を珸瑤瑁水道(ごようまいすいどう)が通っています。
この海域には、太平洋側、オホーツク海側、北方領土周辺海域に優良な漁場が形成され、サンマ、サケ、タラ、イカ、ウニ、ホタテ、昆布などの漁業が盛んですが、地元漁船・外国漁船が狭い海域に集中して操業しているので、海難事故が多発する海域でもあります。
また、太平洋側では海象が急変しやすく、浅瀬や小島が散在する海底地形から、突然大波が発生することもあり、冬季のオホーツク海側には流氷が張りつめます。
珸瑤瑁水道付近では、春から夏にかけて海霧が発生するなど、自然環境が厳しい海域です。
灯台の光は、光によって船に位置を知らせ、安全と安心を届けているのです。
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