1904(明治37)年2月10日に日本とロシアは相互に宣戦布告を行い、日露戦争が勃発しました。
日本にとってロシア艦隊の拠点がある遼東半島最西部の旅順港は重要な攻撃目標でした。
連合艦隊司令長官の東郷平八郎は同年2月18日、立て籠もるロシア艦隊を旅順港に閉じ込めるため「旅順口(港)封鎖作戦」を発令、2月24日早朝に閉塞隊が旅順湾口に突入を開始しました。
しかし、第3次にわたる旅順港閉塞作戦は、結果的に失敗に終わります。
その後、日本海軍は同年8月の「黄海海戦」や「蔚山沖海戦」でロシア艦隊に勝利しますが、艦隊の多くは旅順港に逃げ帰ってしまうため、日本は旅順港の攻略を急ぎました。
所蔵品から見る日露戦争
錦絵:旅順口の海戦に我冨士艦砲術長山中少佐奮戦之図
寸法(mm):385×795
作:右田年英
明治丗七年印刷
版元:地本問屋滑稽堂 秋山武右衛門
所蔵:船の科学館
この錦絵に描かれているのは、日露戦争で主力艦として活躍した巡洋艦「富士」の様子です。
錦絵というのは、江戸時代に発達した多色吊りの木版画で、日露戦争の当時は戦争絵や新聞挿絵としても使われていました。
作者の右田年英(1863−1925)は、日清・日露戦争で多くの錦絵を制作しています。
また、明治三十七年二月十七日発行の絵図「日露戦争早わかり地図」というものもあります。
絵図:日露戦争早わかり地図
寸法(mm):540×780
作:小寺武司
所蔵:船の科学館
日露海軍のそれぞれの勢力や主要都市の概況などが記されています。
旅順港は、朝鮮半島から西に突き出た遼東半島にあります。
この地図を見ると、旅順港が重要な位置にあることがよくわかります。
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