渡し守は旅人の監視役!?
江戸時代には、中小の河川には橋がありましたが、大きな川には橋がありませんでした。
当時の土木技術では、洪水のたびに橋が流されてしまうため、橋が再建されなかった、という理由もありますが、軍事的な理由から、幕府が大河川には橋を架けさせなかったことが一番の理由とされています。
そのため、大きな川を渡るには、「渡し舟」しか方法がありませんでした。
落語『岸柳島(がんりゅうじま)』に「さあ事だ 馬の小便 渡し舟」が出てくるように、渡し舟には人間だけでなく馬も一緒に乗っていたので、この川柳のような出来事が起きると、馬と一緒に乗り合わせた人の困惑は相当なものだったでしょう。
ところで、五街道の宿場を控えたような、軍事的に重要な地点の渡しでは、渡し守が、舟渡しをしながら、どんな人が舟を利用するかを監視していました。
お尋ね者や怪しい人が乗船すると、奉行所に報告され、「渡し舟」は小さな関所の役割を果たしていたのです。

錦絵「名所江戸百景 川口のわたし善光寺」(複製)
作 :歌川広重
寸法:400×265
所蔵:船の科学館
上の錦絵には、岩淵宿(東京都北区)から荒川を渡り、川口宿(埼玉県川口市)に向かう渡船場「川口の渡し」が描かれています。
右上には深い林に囲まれた赤い建物「川口善光寺」があります。
右下に「渡し舟」が1艘あり、手前の船着場には、舟を待つ人達の姿が見えます。
川面の「筏(いかだ)」は、荒川の水運を利用して、秩父の木材が千住の木材問屋まで運ばれている様子がわかります。





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