日本軍は南方作戦の一環として1942(昭和17)年1月にオーストラリア委任統治領であるニューブリテン島に進出し制圧しました。
同時に、日本海軍航空隊は南太平洋諸島の確保、トラック諸島の海軍根拠地の防衛、機動部隊の支援を目的にラバウルに進出することとし、1942(昭和17)年1月23日ラバウルの攻略に成功し、同年末には日本陸軍航空部隊も進出し、重要拠点化されました。
ラバウルの位置
船の科学館に係留・展示している”初代南極観測船「宗谷」”は、その当時特務艦としてラバウルを拠点に測量業務を行っていました。
「宗谷」は竣工時は民間商船でしたが、耐氷型だったことから日本海軍が北方での利用を考え密かに買い上げを検討していました。諸般の事情で最終的には英国製の音響測深儀を装備していたこともあり、海図作成のための測量業務に従事させるため、海軍に買い上げられていました。
そして、ラバウルを拠点とした「宗谷」は最前線の島々の測量業務を行っていたのです。
最前線ですから、「宗谷」も測量業務中に爆撃や機銃掃射を受けることも多々ありました。
その様子を画家の故・岩瀬玄海が絵画に残しています。
絵画: 「宗谷」 旧日本海軍特務艦時代
寸法(mm):370×450
画:岩瀬玄海
所蔵:船の科学館
「奇跡の船」と呼ばれる「宗谷」は、この激戦地でも生き残りました。
なお、「宗谷」の測量装置については、動画でも紹介していますので、是非ご覧ください。
第4弾 初代南極観測船『宗谷』に潜入 未公開区画紹介【前部区画Vol2(後編)】
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