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1854(嘉永7)年1月16日(新暦2月13日)、ペリーが再び浦賀に来航。

1853(嘉永6)年6月3日(新暦7月8日)にアメリカ海軍東インド艦隊の艦船4隻を率いて日本の浦賀に来航したマシュー・ペリーは、半年後の1854(嘉永7)年1月16日(新暦2月13日)、再び浦賀に来航しました。

ペリーは一回目の来航時には、病に臥せっていた将軍徳川家慶と接見ができませんでした。日本の開国を求めるアメリカ大統領の親書に対する回答を聞くため一年後に再訪するとしていましたが、その約束よりも半年早い再来航でした。

半年早い来航は、将軍徳川家慶の病死を知ったペリーが、日本開国の一番乗りをロシアとフランスに先を越されることを心配して出発を早める決心をしたようです。

交渉の過程では、日米それぞれが供宴の席を設けています。
また、ペリーは日本側にアメリカ土産を献上しています。

絵図 石版画 DELIVERING OF THE AMERICAN PRESENTS AT YOKUHAMA.jpg

絵図:石版画 DELIVERING OF THE AMERICAN PRESENTS AT YOKUHAMA
寸法(mm):87×138
所蔵:船の科学館

この石版画は、ペリーが第二回来航時に持参した土産を描いたものです。
ペリーの献上品は140点にのぼり、その中には蒸気機関車の4分の1モデルがありました。

石版画の中央やや左にその蒸気機関車を見ることができます。

協議は約1か月行われ、3月3日(新暦3月31日)に下田と箱館(函館)を開港するとした日米和親条約が締結されました。

これにより、日本の鎖国時代は終わりを告げることになります。

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