第二次世界大戦中、敵艦が跋扈する海域で撃沈された敵艦の漂流者多数を発見、その時、駆逐艦「雷(いかづち)」工藤艦長は「救助」「取り舵いっぱい」と下令したそうです。
1899(明治32)年に改訂されたジュネーブ条約では、戦時下でも海上遭難者を不当に放置することは「戦争犯罪」とされています。
しかし、国際法上は、敵の攻撃をいつ受けるかわからない状況では、放置しても違法ではないとされています。
艦隊に合流するために単独航送中の「雷」がいた海域には、敵潜水艦がいつあらわれるかわからない状況です。
そのような中で自艦の危険を顧みず、敵兵を救助した行動は、「海の武士道」として称賛されました。
戦後長い間明らかにされていなかったこの救出劇がマンガになってなっています。

書籍名:「海の武士道」
著:恵 隆之介
漫画:山野車輪
発行:育鵬社
発売:扶桑社
この救出劇は、戦中だけでなく、戦後も公になっていませんでした。
時代が平成に変わり、救助された英国の元海軍中尉サムエル・フォール卿が「人生の締めくくり」として84歳の高齢を押して来日、探し続けていた工藤艦長の墓参をし、遺族に感謝の意を表したい、としたもののその願いがかなえられず、このマンガの著者恵隆之介氏が艦長の墓と遺族の調査を引き受けることになって、話が大きく動き出すことになります。
先述の通り、海上遭難者の不当な放置は「戦争犯罪」ですが、国際法上は、敵の攻撃をいつ受けるかわからない状況では、放置しても違法ではないとされています。
そのため、漂流者の収容をしない、或いは短時間で、自力で這い上がれるものだけ、という対応をしていた艦もあったそうですが、工藤艦長は全員を救助し、そのため甲板は立錐の余地もなくなりました。
「雷」の上甲板面積は約1,222u、そのうち約60%は艦橋や主砲等の上部構造物が占めるので、実質的に自由に使えるスペースは488u前後。そこに約390人の敵将兵(20〜30人は士官で艦内に収容)とこのケアに当たる乗組員約150人が活動したとすると、単純計算で一人当たりのスペースは約1.24uという過密状態でした。
そしてこのために「雷」は砲の使用も困難になってしまいました。
「雷」は午前中だけで404人、午後は18人を救助しています。
その間、「雷」の戦闘能力は著しく低下していました。
フォール卿は「日本の武士道とは、勝者は驕ることなく敗者を労り、その健闘を称えることだと思います」と語っています。
工藤艦長は救出した英国士官たちに
You had fought bravely.
Now you are the guests of the Imperial Japanese Navy.
I respect the English Navy, but your government is foolish to make war on Japan.
「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。
私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回、貴国政府が日本に戦争を仕掛けたことは愚かなことである」
「武士道」はどこで育まれたのか
工藤艦長の「武士道」はどこで育まれたのでしょうか。
一つには海軍兵学校の教育にあったものと思われます。
工藤が兵学校在籍中の校長の一人、鈴木貫太郎(終戦時の総理大臣)は次のように教育方針を大革新しています。
一、鉄拳制裁禁止
二、歴史および哲学教育強化
三、試験成績公表禁止(出世競争意識の防止)
また、当時の海軍の根本方針は「画一的な人間を作ってはいけない」というものだったそうです。
そして、生まれ育った山形県屋代郷の気質、生家での教育、兵学校入学までの教育環境も少なからず影響を与えていたようです。
工藤艦長の行動は一朝一夕に行われたものではなく、長い期間、教育によって育まれた結果によるものと思えます。
「海の武士道」に紹介される救出劇は、決して美談としてのみ捉えるのではなく、私たちが忘れてはいけない「武士道」の精神を改めて見つめるきっかけにしてほしいと思います。
是非、多くの青少年に読んでもらいたいと思います。
なお、原作は「敵兵を救助せよ! 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長」、草思社から出版されています。

書籍名:敵兵を救助せよ
著:惠龍之介
出版社:草思社
発行:2006年7月5日
この救出劇の詳細や工藤艦長について、より詳しく知りたい方には本書もあわせてお読みになることをおすすめします(現在は改訂文庫版が購入可能です)。
(注)本記事は「敵兵を救助せよ」も参照して作成しています。
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