アメリカがイギリスの植民地だった時代、1773年12月16日、アメリカ独立戦争の発端となる「ボストン茶会事件(ボストン・ティーパーティー事件)」が起きました。
「紅茶の茶葉」 出典:写真AC
北米では、1754年から1763年にかけて、英仏間の北米植民地をめぐる「フレンチ・インディアン戦争」が起き、イギリスが勝利しました。
イギリスは、戦争で膨らんだ支出を植民地から回収しようと、印紙法やタウンゼンド諸法(茶・紙・塗料など)を定め課税を増大します。
植民地側は不買運動で抵抗しますが、1768年にはイギリス軍がボストンを占拠し、その2年後には民間人5人が軍に射殺される「ボストン虐殺事件」が起きました。
植民地側の反発は更に強まり、「茶」以外の課税は撤廃されました。
北アメリカには17世紀後半頃コーヒー、ココア、紅茶が伝わりましたが、紅茶が普及していました。
しかし、茶税によって紅茶は高く、密輸が横行し、紅茶を輸出していた東インド会社会社が経営難となり、その救済のためにイギリスは1773年に「茶税法」を制定し、東インド会社に茶の販売独占権を与え、価格をつり上げ、重い税金をかけました。
そしてついに、イギリスの植民地政策に憤慨した住民が、ボストン港に停泊していたイギリスの東インド会社の船から、船荷の紅茶箱を海に投棄した事件が起きました。
イギリスは植民地側にその賠償を求めましたが、植民地側は賠償を拒否し、アメリカ独立戦争への発端になりました。
この事件の中心的人物「サミュエル・アダムス」は、後に第4代マサチューセッツ州知事になりました。
ボストンでは、「サミュエル・アダムス」銘柄のビールが製造・販売されています。
「サミュエル・アダムス像」 出典:写真AC
ボストンのコングレス・ストリート・ブリッジの近くにある「ボストン茶会事件博物館」では、再現ドキュメンタリーや数々の展示品を観ることができます。
事件の舞台となった船も再現され、当時にタイムトリップしたようなツアーに参加できるそうですよ。
コメント
※現在、コメントに対する返信は対応しておりません。予めご了承ください。