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奇跡の作戦「キスカ島撤退」を指揮した木村昌福生誕の日。5千名の守備隊がいたキスカ島はアラスカ準州にあった要衝

木村昌福(きむら まさとみ)は、第二次大戦中の1943(昭和18)年5月27日から7月29日に行われたキスカ島(アメリカ合衆国アラスカ準州アリューシャン列島内)からの日本軍守備隊撤収作戦を成功させた指揮官です。

静岡県静岡市で1891年(明治24年)12月6日に生まれた木村は当時51歳の少将、第五艦隊第一水雷隊司令官でした。

収容部隊を指揮した木村がキスカ島を包囲していた連合国軍に気づかれることなく、無傷で5千名の日本守備隊撤収を成功させました。

キスカ島は、1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦時に北方で展開した作戦で日本が支配下に置いたアリューシャン列島にある島です。

キスカ島の位置

アメリカ軍は、日本軍のキスカ島などアリューシャン列島方面の攻撃を察知していたものの、ミッドウェー海戦に主力を投入するために最低限の戦力しか送りませんでした。
そのため、日本軍はキスカ島を同列島のアッツ島とともに支配下に置くことができました。

地図を見ると、キスカ島があるアリューシャン列島はアメリカにとってはすぐに奪還しなければならないところに位置していることがわかります。
しかし、日本はこの地域を重視していなかったため、ミッドウェー海戦後の連合国軍の反攻に抗しきれず、まずアッツ島が陥落、アメリカ本土に近いキスカ島は完全に孤立してしまいました。

そのような状況下で無傷で撤退できたキスカ島撤退作戦は「奇跡の作戦」と称され、木村はこの功績により、昭和天皇に拝謁する栄誉を受けます。

この「キスカ島」の様子がわかる画が残っています。従軍画家 高橋賢一郎の筆によるもので、船の科学館が所蔵しています。

絵画 占領1ヶ月後 アリュウシャン キスカ.jpg

絵画:占領1ヶ月後 アリュウシャン キスカ
寸法(mm):538×760
画:高橋賢一郎
所蔵:船の科学館

「占領後1ヶ月後」とありますので、1942(昭和17)年7月に描かれたものと思われます。
湾内に軍艦が浮かび、集落に砲弾によるものと思われる穴が複数あります。中央の大きな穴の上に描かれているのは米艦が発砲した不発弾のようです。
キスカ島における戦闘の激しさが垣間見えます。

もう一枚、キスカ島の画が残されています。

絵画 キスカ富士とツンドラの花.jpg

絵画:キスカ富士とツンドラの花 1942.7
(作品名:「アリュウシャンキスカ富士」)
寸法(mm):445×520
画:高橋賢一郎
所蔵:船の科学館

所蔵資料名に「1942.7」の記載がありますので、先の画と同じ時期の作品でしょう。

「キスカ富士」は島の北方に位置する成層火山で、Kiska Island volcanoキスカ火山のことですね。
標高4,006フィート (1,221 m)、7月でも積雪があるようですが、麓には花が咲き乱れています。

「キスカ島撤退作戦」の成功は、濃霧に紛れることができたことも一因に挙げられていますが、この画の空やキスカ富士も霧に包まれているように見えます。

この作品が描かれたころ、日本軍守備隊が「濃霧に紛れて撤退する」というようなことは、誰も想像はしていなかったと思いますが...。

島内には各所に戦時の遺構や兵器が残されているようですが、全域がアラスカ国立海洋野生生物保護区(Alaska Maritime National Wildlife Refuge)、そして1985年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物(National Historic Landmark)に指定され、現在は定住者のいない無人島になっているようです。
また、自然環境及び歴史遺産保護と安全確保の為に、外来者の立ち入りも制限されているそうです。

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投稿者:うっちー カテゴリー:歴史・人物 コメント:0

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