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今日の海の日

我が国初の国産戦艦「霧島」が進水。建造の地は造船の街長崎

1913(大正2)年12月1日、真珠湾攻撃などにも参戦した巡洋戦艦「霧島」が、長崎の造船所で進水しました。

日本は、日清戦争で清国から割譲された遼東半島をその後の三国干渉で手放します。
しかし、その地はロシア帝国が租借することとなり、旅順を根拠地に増強したロシア帝国海軍が日本の安全保障上の重大な脅威になっていました。

日本は日英同盟を締結してこれに対抗し、軍艦建造技術も英国から導入することになりました。

この時、英国で建造された軍艦と同型艦を国内の民間造船所で建造しました。その一隻が「霧島」です。

「霧島」はのちの改装で高速戦艦に生まれ変わり、1942(昭和17)年11月15日の第三次ソロモン海戦で沈没するまで、大日本帝国海軍の主力艦として活躍しました。

次の絵葉書は、船の科学館が所蔵している「霧島」の進水記念絵葉書です。

絵葉書 軍艦霧島進水記念12168.jpg

台紙下方に「長崎 三菱造船所建造」の文字、右下には「三菱マーク(スリーダイヤ)」を見ることができます。
(右上の切手には「壱銭五厘」とあり、当時の郵便代を知ることができます。)

次の絵葉書も同じく「霧島」の進水記念に作られたものですが、写真上部に「立神造船工場」と書かれています。

絵葉書 軍艦霧島進水記念12170.jpg

この写真からは、「霧島」建造時の造船所の様子を垣間見ることができます。

ちなみに「立神」は【たてがみ】と読みます。
立神という地名がありますが、この名の由来は長崎市内の桜谷神社にある巨大な陰陽石と言われているそうです。

さて、この造船所はたいへん古い歴史があります。

渋沢社史データベースには、次のように書かれています。

文久3年(1863)3月
長崎奉行、服部左衞門佐、浦上村淵立神郷に軍艦打建所創設のため、海面12,160坪を埋立て、その基礎を作らんとしたが、神戸海軍練習所に軍艦製造局設置のこととなり、飽ノ浦製鉄所も操練所の付属となったので、立神軍艦製造所を造船場と改称、建築工事を継続した(立神造船工場の前身)。なお、ここに船渠築造の予定であったが中止し、機械器具類一切を製鉄所に移管した

次の絵葉書も「霧島」建造中の造船所の様子がわかる一枚です。

絵葉書 軍艦霧島進水記念12169.jpg

建造中の船体全体を覆う大きなガントリークレーン(レール上を移動可能な構造を持つ門型(橋脚型)の大型クレーン)があります。

三菱重工グループのWebサイトを見ると、長崎造船所の始まりは1957(安政4)年とありますが、立神ドックについても記載されています。

1879(明治12)年立神ドックに第一ドック完成、当時東洋一。(現在の第二ドック首部)

なお、1942(昭和17)年にはこの造船所で戦艦「武蔵」が竣工しています。

江戸末期に造船の適地とされた長崎の立神地区は、戦艦「霧島」など多くの艦船を送り出しましたが、現在も三菱重工グループの長崎造船所として海上自衛隊艦船の建造・修理改造を行うなどその歴史を繋いでいます。

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記事内で紹介した絵葉書はすべて船の科学館が所蔵しているものです。
寸法(mm):90×143

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投稿者:うっちー カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0

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