• もっと見る
航空母艦「信濃」が竣工、未完成のまま回航中に米軍艦の魚雷を被弾し沈没。艦命はわずか10日

1944年(昭和19年)11月19日、大日本帝国海軍の航空母艦として竣工した「信濃」は、横須賀海軍工廠で竣工後、呉に回航されました。

航行中(護衛は第17駆逐隊「磯風」「浜風」「雪風」)の11月29日午前3時20分、紀伊半島潮岬沖合で米軍潜水艦「アーチャーフィッシュ」から発射された魚雷4発が命中、浸水が止まらず、同日午前10時50分頃に転覆、沈没しました。

竣工から沈没まで、艦命はわずか10日でした。

空母信濃.jpg

船舶模型 空母 「信濃」 (1/700)
所蔵:船の科学館

主要目

満載排水量:71,890トン
全   長:266.0m
最 大 幅:38.90m
飛行甲板 :256.00 x 40.00m
ボイラー :ロ号艦本式缶(空気余熱器付)12基
主   機:艦本式タービン((高低圧2組)4基
推   進:4軸 x 225rpm、直径5.100m
速   力:27.0ノット
航続距離 :10,000カイリ / 18ノット

当初大和型戦艦の3番艦、第110号艦として建造が進めらた「信濃」は、1940(昭和15)年4月7日起工、1943年(昭和18年)10月進水、1944年(昭和19年)4月主砲積込み、1945年(昭和20年)3月末の完成を目指すという計画でした。

しかし、建造中にアメリカとの開戦が決定的となり、1941年(昭和16年)11月、戦艦を含めた艦艇建造計画が見直され、潜水艦と航空機の生産優先が決定、大型艦の建造は中止となりました。

開戦時(12月8日)すでに建造が進んでいた第110号艦には「本艦は戦艦としての工事を中止し、浮揚出渠せさるに必要な工事のみを進め、なるべく速やかに出渠(しゅっきょ)せしむべし」という命令が下りました。
ドックを中型空母建造や損傷艦修理のために開けるため、船体のみを建造することになったのです。

その後帝國海軍は、ミッドウェー海戦による主力空母の喪失による空母機動部隊再建の方針などもあり、第110番艦を空母とすることに決定、1944(昭和19)年12月就役を目指すことになりました。

竣工した「信濃」の呉への回航は残された艤装と兵装搭載のためでしたが、実際には建造途中の未完成艦であり、通路にはケーブル類が放置され、防水ハッチを閉めることができませんでした。
また、乗員にも防止ハッチ閉鎖訓練は行われていませんでした。

竣工から10日で沈没、という「信濃」の艦歴は、世界の海軍史上最も短いものです。

あわせて読みたいおススメの記事

この記事をシェアする

投稿者:うっちー カテゴリー:船・潜水艦 コメント:0

コメント

※現在、コメントに対する返信は対応しておりません。予めご了承ください。

カレンダー

  •  
  •  
  •  
  •  
  •  
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  •  
  •  
  •  
  •  
  •  
  •  

このブログについて