大日本帝国海軍第37潜水艦が進水した日。太平洋戦争において大日本帝国海軍が最も多く建造した大型潜水艦「伊15型」の第18番艦、その運命は...
1941年(昭和16年)10月22日、大日本帝国海軍の伊15型潜水艦(巡潜乙型)の18番艦である「第37潜水艦」が呉海軍工廠で進水しました。
1939年(昭和14年)の第四次海軍補充計画によって建造が決定され、1940年12月7日起工、竣工は1943年(昭和18年)3月10日。竣工と同時に呉鎮守府呉潜水戦隊に編入されています。
1944年11月19日に戦没(除籍は1945年3月10日)しましたが、この時は回天(人間魚雷)特別攻撃隊の一隻として出航しており、回天出撃前にアメリカ海軍に発見され攻撃を受けたという記録が残っています。
アメリカ海軍は、自艦の攻撃によるものとは思われない大爆発音を確認していることから、特別兵器である回天を隠匿するため、自爆を選んだ可能性も指摘されています。
なお、「伊」というのは、帝国海軍の潜水艦のうち排水量1000t以上の艦を意味し、1000t未満は「呂」と名づけられていました。
伊15型潜水艦は、太平洋戦争において大日本帝国海軍が最も多く建造した大型潜水艦で、計20隻建造されました。
主要装備 |
魚雷発射管6門 |
魚雷を17本搭載 |
14cm単装砲(後甲板) |
25mm連装機銃が1基 |
水上偵察機1機(前甲板にカタパルトを装備) |
航空機揚収納用のデリック |
船の科学館は、この伊15型潜水艦の一番艦「伊15」の模型を所蔵しています。
前部甲板に水上偵察機があることで、潜水艦の大きさが想像できますが、全長は108.7メートル、幅は9.3メートルです。
伊15型潜水艦は航続力があったため、東はアメリカ西海岸から西はアフリカ東岸までを活躍の場としましたがほとんどが撃沈され、終戦時に残ったのは1隻でした。
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