アメリカのペリー艦隊に驚いた幕府は、「幕府海軍の創設、海軍伝習所の開設、軍艦の購入」を決め、嘉永7年9月21日(1854年11月11日)、親交のあったオランダに軍艦の建造と海軍伝習所の教官派遣を依頼しました。
軍艦の建造依頼については、前年の6月、ペリー艦隊が退去した直後に、帆装軍艦を発注していましたが、時代遅れということで帆装軍艦をキャンセルし、改めて木造スクリュー式蒸気軍艦2隻を発注しました。
この2隻が「咸臨丸(かんりんまる)」と姉妹艦「朝陽(ちょうようまる)」です。
船舶模型「 蒸気軍艦 「咸臨丸」 (1/50)」
寸法:1314×346×773
所蔵:船の科学館
「咸臨丸」の概要
艦種 | 木造スクリュー蒸気艦 |
---|---|
満載排水量 | 625トン |
全長 | 48.8メートル |
全幅 | 8.74メートル |
深さ | 5.60メートル |
平均喫水 | 3.625メートル |
帆装装置 | 3本マスト、パーク型 |
蒸気機関 | 2シリンダ横置傾斜直動機関 1基 |
推進装置 | 2翼引き上げ式スクリュープロペラ 1基 |
石炭搭載量 | 70トン(推定) |
速力 | 6ノット(汽走時) |
備砲 | 18門(補助砲6門含む) |
乗組員 | 95名(推定) |
船体は木造ですが、当時は軍艦でも木造が普通でした。
下の「精密解剖図」に描かれているように、上甲板の上には煙突の後ろに小さな調理室がある以外、構造物がない甲板になっています。
絵画「軍艦 「咸臨丸」精密解剖図」
作:谷井建三
寸法:340×770
所蔵:船の科学館
推進装置は「精密解剖図」左下に描かれているように、蒸気機関、ボイラ、プロペラで構成されています。
石炭の燃焼でボイラの中の水が加熱され(絵図中央)、蒸気となって蒸気機関のシリンダに導かれ、蒸気によってシリンダ内のピストンを動かし、プロペラの推進軸に動力を伝えます。
咸臨丸が建造された当時は、蒸気機関の効率が低く、搭載している石炭だけで長期間の航海をすべて汽走によることは不可能で、スクリュープロペラは入出港時や無風時などの場合に限られていました。
大洋を航海する時はほとんど帆走で航海したので、帆走時に不要な煙突を伸縮式にしたり、海水中にあると大きな抵抗となるスクリュープロペラは、船体内部に引き上げ格納する工夫がなされていました。
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