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歩いては日々歩いては喜んで [2026年03月10日(Tue)]

260308094232688.JPGわたしは、やたらめったら歩く。歩くのを苦にしない。歩き回ることが趣味と言ってもいい。だから行ったり来たりが頻繁になり、二度手間が増える。一度で済ませばいいものをニ度も三度も足を運ぶ。コスパも下がる。でもいいんだ。

朝の駅までの歩きは、その日の体調のバロメータとなる。重い荷物は分けて運んで、体を痛めないようにする。1日8000歩のノルマも簡単に達成できる(歩き過ぎはむしろ身体に悪いので注意)。休みの日に歩数が足りないと、部屋の中を前進で10歩、後進で10歩を繰り返す(家人にはうるさいと文句を言われる)。歩くのは楽しい。今のところの健脚を喜ぼう。

(歩いたあとに優しく出迎えてくれるのはクロッカス。淡い黄と葉の緑が目に優しい)
失敗と挫折成長ひと回り [2026年03月09日(Mon)]

250309141912646~2.JPG≪人は誰しも“失敗をしたくない”と考えるものです。
 しかし心地よさにひたり、無難さを貫き通そうとする人生では 、何ひとつ成長することができません≫

建築CAD検定試験のアピールポスターで、主催者はこう訴える。失敗はこわい。周りの目はもっと怖い。その無難さに安住するか否かを問おている。そして続けてこう示す。

≪大切なことは、たとえ挫折しようと挑戦すること。
 流した汗や挑みつづけた日々の努力は必ずあなたを成功へと導き、そこで得た知識・技術・経験はあなたの夢を叶える最高の後押しとなることでしょう。
 踏み出しましょう、勇気を出して。
 変わりましょう、新しい自分へ≫

CADの資格試験はこの4月。受験するかって? しないんですよ、こんなこと書いておきながら。よほどの準備訓練が必要です。何よりもその当日には予定がありますから。挑戦は別の分野でやってます。

(挑戦せよ、とオヤジ顔のパンジーも促している)
飯粒は伝統の糊つぶしてちょ [2026年03月08日(Sun)]

260308094149146~2.JPG映画『木挽町のあだ討ち』を観たとき、昔の糊を思い出した。誤ってもげてしまった首人形の鼻を、飯粒でもって貼り付けたシーンを見たときだ。

子どもの頃、それまで袋からデンプン糊を出して使っていたものを、黄色い円筒形のビニールボトルに入った糊が売られるようになった。指を突っ込んで糊を取り出し、目当ての場所に塗り付けて貼った。手がベタベタになって、学生服(小学生時代は丸い襟の学生服だった)の裾でぬぐったものだった。

いつかチューブ式になりはしたが、微妙な位置はもっぱら指で塗っていた。飯粒を一つ摘んでお手軽になすりつけて貼る、伝統的なやり方でもよくやったものだ。

いつの頃からかスティック糊が登場する。ドイツで口紅のスティックから着想を得たものだと聞く。手を汚さず薄く狙った位置に塗れる。画期的だった。塗ったあと紙がシワにならないのもいい。コンパクトで便利だった。

さらに革命が起きたのは、​テープ糊。もっと薄く均一に貼れる。乾くのを待つ必要はなく、失敗しても簡単にはがせる。詰め替え式も登場した。粘着剤に触れずに簡易で、エコでもある。ご飯粒からすると隔絶の感がある。

(テープ糊ならば、露に濡れたクロッカスに紙の小片を貼り付けることもできるかも)
原発の全廃恐怖の始まりよ [2026年03月07日(Sat)]

250524102856454~2.JPG2015年10月21日に原発のことを書いている。

(原発を全廃したら)
≪巨大地震や大津波に襲われることはない。恐怖のテロリストによって大惨禍が起きることはない。確かに安心できるだろう。 しかし私は、原発絶対反対!と声高に叫ぶ気にはなれない≫

≪原発が動いていなくても、燃料棒や核廃棄物は国内に残されたままだ。どこか外国にお願いすればいい、なんてことはありえない。何万年もの半減期を繰り返す厄介なヤツらを厳重に管理するしかない。 さらに心配なことは、韓国や中国にはすでに多くの原発が動いていることだ。特に中国あっては原発事故が起こる可能性は高い。そこに及んで日本が事故の収束技術をもっていなければ指をくわえて見ているしかない。福島原発事故以降、原子力関連学科をもつ大学には入学生が減っていることだろうが、人材がいない、原発を制御するノウハウもなくなった、では終いには何もできなくなる。技術力をなくしてしまっては元も子もない。原発の技術は保たなければならない。 ただし条件はある。電力会社それぞれに原発を任せるのではなく、一元管理すること。積み重なったノウハウを共有化して、厳密な管理下に置く。そして原発の運転と原子力規制は馴れ合わないよう不断の刷新を図る。放射性廃棄物の安全化に関しては諸外国と知恵の共有をして、人類の英知を集積させる。そうしないことには、ヤツらを制御することはおぼつかない≫

この気持ちは今でも変わらない。特に放射性廃棄物の安全対策は道半ばである。永久に安全管理が可能な技術を日本が生むことができれば、世界のトップに躍り出る。原発の技術は安全保障政策として、そして国際貢献として不可欠の英知だと思う。
啓蟄後山が笑って春は成す [2026年03月06日(Fri)]

250309140937102~2.JPGきのう3月5日から二十四節気の啓蟄(けいちつ)が始まる。地中に閉じこもっていた虫や蛇など(蟄)が、這い出てくる(啓)季節だという。

啓蟄のころは、山笑う季節の到来。木々が眠りから目覚め芽吹く。春もみじと言われる色鮮やかで華やかな山に至る直前、なんとなく山の体積が増えたような気がする。山も野も川も春の喜びに浸る前段となる、素敵な季節。

 故郷やどちらを見ても山笑ふ

正岡子規の句である。病床に伏す子規は松山の山々を思慕したであろう。東京で山を見ることもかなわなかったのではなかろうか。

地上に咲く早春の一番はクロッカス(わたしにとって)。続いて沈丁花が芳香を漂わせて、初期の春は完成する。桜花爛漫の時は来て、春が爛熟するのは間もなくだ。
ジェイコブソン響き麗しフレタなり [2026年03月05日(Thu)]

250324084355136~2.JPG美貌の主である。品格まことによろしく、満員の客席に満遍なく女神のような上質な笑み(女神に出会ったことないけど)を振りまく。ロングドレスを颯爽と翻して歩く。実に凛々しい。それでいて謙虚である。ギターの音色は多彩で、甘みも深さも申し分ない。細やかに大胆さも兼ね備えでクラシックの響きを堪能することができた。楽器は米国のジェイコブソンとか。芯のある素晴らしい音である。

村治佳織のデュオコンサートを松江・プラバホールで楽しんだ。ピアソラ「リベルタンゴ」が最も心地よかっただろうか。マイヤースの「カヴァティーナ」は弾けなくなって久しい。まろやかなあの曲を再び弾きたいと思った。ゲーム音楽の新境地「ファイナルファンタジー」のギター版も楽しめる。「ニュー・シネマ・パラダイス」「A列車で行こう」、有名なナンバーもなかなかのもの。

中盤以降、困った客が出てきた。残響があるうち、演奏者も余韻に浸っているうちに拍手をかき鳴らすのだ。繊細な音、プラバホールの良い残響を楽しみたいのに、フライングされるのはかなわない。村治佳織の熱烈ファンか、よほどの目立ちたがり屋か。拍手は演奏者が目を開け、顔を起こしてからにしてほしい。

デュオの片割れ弟の村治奏一氏の演奏もよかったことを申し添える。名器フレタの音色が響き渡った。
東風と雨月は食われて雲隠す [2026年03月04日(Wed)]

250309142852669~2.JPG東風(こち)が吹いた
横殴りとは言わないが
雨が降り続けて傘をさす
突風に吹かれ傘揺れるが
持つ左手に右手を添える
手袋は持たず冷たいが
きのうは皆既月食の夜
赤銅色が見事だと言いたいが
夜中まで雨は続いた
きょうも雨模様なり
それでも春はここにある
あだ討ちは仇討ちならず人生かす [2026年03月03日(Tue)]

240513162438067~2.JPG映画『木挽町のあだ討ち』は単なる時代劇かと思いきや、思いがけず人情噺のミステリー仕立てで楽しめた。しかもホロリとくること多く、文化文政、200年前の江戸の人情味を彷彿とさせてくれた。

「あだ討ち」と言うとおり確かに父の仇を討った。だが、仇討ちといえども仇討ちにあらず、徒花の「あだ」。人の命を無碍に失わない温かさに満ちたあだ討ち。決して無駄に終わることのない、感謝に彩られた実のある花が咲いた。人の心は徒花にはあらず。

それでいて、苦しむ者を助け、驕り高ぶる権力の亡者を奈落に落とす。歌舞伎小屋という虚実織り交ぜた雑多な集団が正義の鉄拳を食らわす、その痛快さに心躍った。
死の床で仕事か愛か人えらぶ [2026年03月02日(Mon)]

260223173834070.JPG死の受容について、そのプロセスを提示したのが、エリザベス・キューブラー・ロスである。1.否認と孤立、2.怒り、3.取り引き、4.抑うつ、5.受容の5段階。

そのキューブラー・ロスにこういう言葉がある。

≪死の床で、『もっと仕事をすればよかった』と言う人は一人もいません。みんな
 『もっと愛する人と時間を過ごせばよかった』
 『もっと自分らしく生きればよかった』
         と言います≫

最期に人は、親密な(であるべき)他者への愛と、自分への愛を大切にしたかったと、後悔とともに振り返る。どんなに精いっぱいやったと思っていても、振り返ればああすればよかった、こうも出来たのではないかと、悔やむ心が出てくるのは誰しも同じであろう。なおさら、今の一念が大切。

(菜の花が咲いてきた。春はいまここにある。春を楽しみたい)
やりたしのときは短し三月や [2026年03月01日(Sun)]

260228105225623.JPGおよそ3月ほど短いものはない。あくまでわたしの感覚的なものだが、3月は短い。1月は往ぬ、2月は逃げる、3月は去るという。2月が暦上短いのは当然だが、31日ある3月も、転勤、配置換え、引継ぎ準備、引っ越し、年度替り、社会全般の移り変わり、近頃は花見まで3月に集中している。忙しくて時間が足りないのは当然だ。きょうは3月1日。忙しく動き回った。あすもまたバタバタする。短い3月を大切にしよう。

(三月来訪とともに咲く、紫色のクロッカス)