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凄日に凄惨寒々凄いこと [2025年05月31日(Sat)]

fumihouse-2025-05-31T16_01_15-1-thumbnail2.jpg【凄い】という字をじっくり見ると、面白い。弐水偏(冫)に(妻)。水もしたたるいい男という言い方はあるが、水もしたたるいい女や妻という言葉は聞いたことがない。「すさまじい」「すごい」のほかには、「ぞっとするような」、「寒い」とか「さみしい」という意味もある。

「氷の結晶」の象形と「かんざしに手をやり、髪を整え飾る女」の象形(=妻)が組み合わさって、氷ほど怜悧な冷たさでゾッとするようなカップルなのか(凄惨)、それとも水も滴る睦まじい仲で、寂しさを共有するのか。漢字の成り立ちと実際は異なる。所詮は言葉の遊びごと。

(チェリーセージは番(つがい)で咲く。可愛らしい唇のようだ)
眼球に目薬刺さず疲れ取る [2025年05月30日(Fri)]

fumihouse-2025-05-30T12_51_03-1-thumbnail2.jpg眼球を動かす。目一杯右に寄せ、反対に左へ目の玉を引っ張るほどに、それぞれ3秒ほど寄せたままにする。左右1セットを5、6回。ただし目を閉じてやる。開いたままだと周囲を睨む目つきの鋭い、不審なヤツだと疑われる。

次に上下に動かす。特に上向きは力が入って筋肉が突っ張る。いい感じ。最後に8の字にぐるぐるやる。右回りも左回りもバランスよく動かすのは慣れないと難しい。首まで一緒に動いてしまうので注意。

この運動で疲れが取れた気がする。1日の仕事を終えて列車やバスに乗っている時がちょうどよい。そのまま目を閉じていると眠ってしまうこともある。順調に仕事が推移した時は特に気分よくできる眼球運動である。

(トマトの実は赤い。花は黄。輝きのあるコントラストで食欲を増す)
知るものは好むに如かず楽しめや [2025年05月29日(Thu)]

fumihouse-2025-05-29T17_19_33-1-thumbnail2.jpg論語の一節がある(ほんの一部しか知らないが)。

 知之者不如好之者 好之者不如楽之者
 (これを知る者はこれを好む者に如かず
  これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

ただ「知る」者より「好む」者がうまく行い、「好む」だけの者は「楽しむ」者にかなわない。楽しむ者が事を成す。人間が行う仕事(狭義の仕事にとどまらない。家庭でも趣味や地域での活動なども含めて)は、義務的にこなすのは労多くして益少なく、楽しく享受すると成果が上がり幸福感も増す。

新しいことを始めて面白味が分かってくる、やがて伸び悩んだり、困難な事態が起きても、それを乗り越えることにやり甲斐を感じる。そんな「楽しむ」境地に達したい。

(青い空、赤いブラシノキの花。両者ともども存在することを楽しんでいる)
#楽しむ #赤いブラシ
ストレッチ軽い鼾にまた寝入る [2025年05月28日(Wed)]

fumihouse-2025-05-28T12_16_10-1-thumbnail2.jpg眠る直前に軽いストレッチをすると、寝入りがスムースになる。目を閉じて何分たったのか。鼻いびきをかいて、その音と震えで目が覚める。いつの間にか眠っていたようなのに残念だ。昨夜がそうだった。再び寝入って、やがて軽快に朝が来た。

酒を飲むと必ず大きないびきをかく(らしい)。酔いのせいで寝入りは早いが、眠りは浅い。強い尿意をもよおし、喉が渇いて目が覚める。その後もスクッと眠れない。目覚めは今ひとつ。飲み過ぎはよろしくない。

鼾(いびき)という言葉は平安時代にはあったという。鼻を干すとはどんな意味だろう。語源は「息吹」という説がある。前後不覚に気持ちよく深く眠っているようには見えても、睡眠は深くないのは、酒を飲んだ際の経験で分かる。呼吸が阻害されているのだろう。今夜は鼾をかかずに眠りたい。

(昼咲き月見草はパラボラアンテナ状の花びらを広げて気持ちよい。夜はアンテナを閉じて眠りにつくのか)
右肩に重石を載せて左前 [2025年05月27日(Tue)]

fumihouse-2025-05-27T08_24_59-1-thumbnail2.jpg【右肩下がり】と【左前】はともに、業績や数値が行くにつれて下がっていく状態を指す。企業経営にも家計にも、成績にも使えるが、【左前】のほうは近頃聞いたことがない。

和服の身頃を重ねる時に、通常は右側を先に置き、その上に左側を重ねる。これを「右前」と言うのに対し、左側の身頃を先にする着方を「左前」と称する。左前は死装束であるため、生きている人がするのはタブーである。禁忌の左前が、業績悪化を示すというのは飛躍である(わたしにとって)。着物を着なくなったということも併せ、左前という言葉が使われなくなった理由であろう。

一方で【右肩上がり】。右肩下がりと合わせて使える便利な言葉。左から右への横書きが全盛の時代に右肩が下がるのか、上がるのか、よく分かる。線グラフで考えるとイメージしやすい。さて、きょうも右肩上がりを目指して、一歩前進だ。

(金糸梅(キンシバイ)は昨日載せた美女柳に似ている。どちらが右肩上がりかな?)
脳を知れ隠れ能力伸びしろ [2025年05月26日(Mon)]

fumihouse-2025-05-26T18_27_14-1-thumbnail2.jpg認知症の高齢者数百万人。多くが認知症になる中、百歳過ぎても矍鑠(かくしゃく)と笑顔ふりまくお年寄りも多い。分かれ目はどこなんだろう。医学博士の加藤俊徳氏はこう言う。

≪脳には一生かかっても使い切れないほどの潜在能力細胞があり、これを鍛えることで、脳の衰え知らずの人生を送ることができる≫と。未発達のままでいる部分を伸ばし、脳内の連携を強化するために、≪50代を過ぎてからも脳に新鮮な驚きを与えて刺激し、早寝早起きで睡眠を重視する生活リズムに切り替えれば、脳は80歳になっても90歳になっても成長する≫と加藤氏は述べる。

つまり生活を、いや人生をマンネリ化させてはいけないのだ。別の人生を始めるつもりでやる。新しいことが大好きな脳を喜ばせるために、毎日何か刺激のあることをしようと氏は勧める。

加藤氏はスマホの使い過ぎに警鐘を鳴らす。画面が小さくて眼球運動が起きず、目を動かす筋肉(外眼筋)を使わないために思考力が落ちる。空間認知力や注意力が下がり忘れ物が多くなるようだ(身に覚えがある)。

別の問題点は、記憶すべきところを外部記憶装置(スマホ)に入れてしまい、記憶力を鍛えない習慣を作ってしまうこと。

脳を喜ばせて、そしてしっかり歩くことと、タップリ眠ることが重要だと氏は強調する。歩きながら視野を広げよう。遠くを見て目を休め、好奇心に目を光らせよう。

(好奇心いっぱいに、咲き始めた美女柳を見つめる)
全勝の夢は名古屋へ持ち越して [2025年05月25日(Sun)]

fumihouse-2025-05-25T18_02_15-1-thumbnail2.jpg琴櫻が綱取りの場所であえなく負け越し。カド番となったのは記憶に新しい。今場所の千秋楽でも大栄翔に押し負けた。96(クンロク)大関となって埋もれていくのか、それとも横綱への道を進めるのか。頑張ってほしい。

豊昇龍は塩を投げて激しく5回まわしを叩く立ち合い。大の里は闘志を秘めつつ静かに仕切り線に向かう立ち合い。「動」の横綱 豊昇龍、「静」の横綱 大の里。動と静の両雄の時代が始まった。大関候補も綺羅星のごとくに連なっている。

(美しく咲き誇る薔薇のように、力士も咲き誇ろうと土俵を暴れ回る)
さり気なくブリロボックス3億円 [2025年05月24日(Sat)]

fumihouse-2025-05-24T21_44_29-1-thumbnail2.jpgポップアートの話題作『ブリロ・ボックス』を観た。床にさり気なく置かれた5個の箱が3億円。鳥取県立美術館(鳥取県倉吉市)の開館記念展『アート・オブ・ザ・リアル 時代を超える美術』へ行ってきた。

個性やオリジナリティがあってはじめて、アートだと思われていた半世紀も前に(今だって十分そうだが)、アートの常識をひっくり返したのがアンディ・ウォーホル。没個性の大量生産品の器をアートにしてしまったウォーホルは、日常生活の中にこそ美はあるという美学を持ち込んだのか。それとも単に奇をてらったのか。リーフレットにはこう説明があった。

≪対象を「リアル」に表現することは、美術家たちにとって大きな課題でした。(中略)しかし印刷術や写真術が発明され、私たちが目にするイメージが機械によっても複製、再現可能であることが明らかになった後、美術家たちは別の「リアル」を探求することになります。見えるままの「リアル」ではなく、絵画において可能な「リアル」、合理性の背後に広がる「リアル」を超えた光景、奇抜で誇張された「リアル」、 あるいは日常や生活の中の「リアル」≫

目に見えることだけがリアルだと思っていたが、五感全てを駆使して感じるリアル、精神性も含めた各々の主観が考えるリアル、それぞれが異なる美の基準としてのリアル、そうあるべきだと考えていることもリアル・・・一体全体リアルってなんだろうと思った。そもそも視覚、聴覚、嗅覚、触覚も脳が創り出した幻想であるとも思えるし、人によって脳の感覚は異なる。リアルの一律的定義は不可能である。美というもののリアル。リアルを追求して得られるところの美。人間が美を求める営みは永久に続くだろう。

(薔薇は美しい。その美は現実のものなのか、そうでないのか。現実であると望みたい)
道ありや歩く先には道続く [2025年05月23日(Fri)]

fumihouse-2025-05-23T09_30_24-1-thumbnail2.jpg≪「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」――高村光太郎がこう詠んだのは、110年前のことだった。人生は道なき道。足を取られながらも前進する自らの軌跡が道を築く。それが生きるということだろう▼中には生まれた時の家庭環境など、すでに決められた道も。ある臨床心理士が語っていた。不遇な環境の中で前に進めないこともある。そんな時、人生がうまくいかないのを“環境のせい”にしている限り、「自分の人生を真に生きることはできない」と≫
(聖教新聞「名字の言」2024年7月29日)

ナポレオンはこうも言った。≪状況? 何が状況だ。俺が状況をつくるのだ≫

状況という環境に呑み込まれたとき、可能性の扉は狭まる。リーダーと組織構成員が持つ意志と実際の行動の総和が組織の将来を決する。個人も同じことだ。かくありたい!から一歩脱し、必ずこうする!と決めた時、勝利の因は確定する。小さな勝利然り、未曾有の大勝利もそこにある。さあ道を創ろう。

(ビオラが笑っている。ヒゲを生やす紫色の優しい小顔が笑っている)
立てば若竹座れば椎ノ木ケヤキ [2025年05月22日(Thu)]

fumihouse-2025-05-22T20_01_31-1-thumbnail2.jpg「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」とは、美しくふる舞う女性を花の美しさに例えた昔からの形容ではあるが、ジェンダーレス社会にあって古びた感は否めない。かといって無くすのは、もったいない。語呂良し、例え良し、花は美しと三拍子揃っていて、非の打ち所がない。

芍薬はすっと伸びた茎の先に艶やかな花を咲かせる。それと同じように立ち姿が凛々しい様子を表す。牡丹は花の王。枝分かれした横向きの枝に堂々とした花をつけており、落ち着いて風格がある。百合の例えは、歩く姿が風に穏やかに揺れる百合のように、しゃなりしゃなりと優美な様子なんだろうか。品ある女性への誉め言葉であることは間違いない。

男に使える同類の言葉は多分ない。ならば作ってみよう。
・立てば若竹(若々しく溌剌としてスマートである)
・座れば椎ノ木(力強く枝広げ周囲を和ます)
・歩く姿は欅並木(風に動じず整然と美しい)
ワカタケ、シイノキ、ケヤキに例えてみたけどいかがかな?

(芍薬(シャクヤク)の漢字が好きだ。とても効きそうな感じだ。麗しい白と黄の優しいコントラスト)
桜樹に春の香りを咀嚼して [2025年05月21日(Wed)]

fumihouse-2025-05-21T06_57_53-1-thumbnail2.jpg昨年亡くなった星野富弘氏がこう表現されている(花の詩画「さくら」)。

(満開の桜の下で友人が枝を曲げてくれて)
≪湧き上がってくる感動をおさえることができず/私は口の周りに咲いていた/桜の花をむしゃむゃと/食べてしまった≫

あー、分かるなあ。やったことはないけれど、春の喜び、春の開放感も手伝って、口にまとわりついた花を口に入れる。春の香り、ただよう春の満足でもって咀嚼する。春っていいね!

その春は終わり、夏がやってきた。まずは湿りっけタップリで蒸し暑さ満載の梅雨を乗り越えよう。

(サクラソウをむしゃむしゃと食べる気にはなれないだろう)
かに贈る推したる文を認めて [2025年05月20日(Tue)]

fumihouse-2025-05-20T19_27_39-1-thumbnail2.jpg【認める】
「したためる」と読む場合と「みとめる」の場合がある。送り仮名がおんなじで困ったもんだ。

【したためる】は少々古風であるが、「手紙を認める(書き記す)」、「準備万端認める(支度する、処理する)」というふうに使う。食事をする意味もあるようだが、耳にした経験はない。何かを記したり、行ったりすることを示す。

【みとめる】の説明は必要なかろうが、「異常はどこにも認められない」、「君は確かに頭いいよ、認めるよ」てな感じで使う。何ものかの存在を知覚し、何事かを判断するわけだ。

OK漢和辞典によると【認】は、取っ手のある刃物の象形と口の象形から謹んで言葉を述べる一方で、刃と心臓の象形から相手の発言に我慢するのだという。積極性と受動性を兼ね備えた人のありさまを示すのであろうか。

(カーディガンを着て寒さに耐える季節は終わった。次は暑さをどうやって堪えていこうか)
改革と秩序混沌保守いかん [2025年05月19日(Mon)]

fumihouse-2025-05-19T09_39_09-1-thumbnail2.jpg
1□□□□□□□□●□2□□□□□□□□
微修正を加えなが□秩□安定的に従来手法□
ら安定が保たれる□序□が有効に作用する□
□□□□□□□□□↑□□□□□□□□□□
□□□□●改□革←□→保□守●□□□□□
3□□□□□□□□↓□4□□□□□□□□
変化が急過ぎて社□混□社会変化を捉えず□
会的に混乱を来す□沌□立ち遅れが目立つ□
□□□□□□□□□●□□□□□□□□□□

2の状態ならば楽ちんだ。会社にあっても社会全体でも家庭でも。まずあり得ない。不断に刻々と世の中は変わっていく。矛盾が噴き出していく。1を保つ努力しなければ、安心安全は守れない。変化が急激だと社会の歪みがあらわになって皆が困る。手をこまねいていれば4となり、不幸せが社会を覆う。

(キク科の白い花が花壇を覆っている。幸せを周囲に振りまきながら楽しんでいる)
アリババのバッテンごとき折り三角 [2025年05月18日(Sun)]

fumihouse-2025-05-18T12_46_02-1-thumbnail2.jpgトイレットペーパーの端を丁寧に三角に折る人がいる。掃除する人にとっては迷惑なのだそうだ。目印の目くらましになってしまう。便器とトイレ内を隅々まで綺麗にする。必要があれば紙を補充する。一連の作業が終わったことを示す目印として三角に折る。

掃除してないはずなのに折ってあると、やったかどうか不明瞭になる(数が多ければ十分あり得る)。別の担当者がやったのだろうか、などと迷ってしまうのだ。

いい点はなんだろう。綺麗に見えるのが一つ。薄い紙だとホルダーの下に隠れて出しにくいものだが、三角に折ってあると引っ張り出すのが容易で二つ目。それも大したことではない。わたしはそんな心得は持たないので、あるがままにいく。

(トイレットペーパーのように転がっていきそうな芍薬のつぼみ) #トイレ #三角折り
夕景を臨む一日暮れて夏 [2025年05月17日(Sat)]

fumihouse-2025-05-17T14_49_50-1-thumbnail2.jpg夕焼けとはよく言ったものだ。太陽が沈み山の端から同心円状に赤みが増すこともあれば、西の空全体が橙に染まることもある。1分と置かず色合いは変化して楽しい。

町並みも木々の佇まいも、歩く人の姿でさえ、マジックアワーの光彩で輝く夕刻が好きだ。なぜか風薫る深緑の今の時季に限るのが不思議だ。実に楽しい。

この時間は花を撮っても映える。空の青さが引き立ち、一筋の飛行機雲が空間を貫く。水を張った田に映る夕焼けはえもいえない。山も落ち着いた色に変化し、昼間は強めだった風は凪いでいる。ウキウキする。

辺りはスダシイの匂い漂う春から夏へ移ろう。新緑の勢いは落ち着くが、緑の葉が茂り重なって濃緑が鮮やかで美しい。緑色は一様ではない。高揚した夏の思い出が蘇る。

昨日からの雨。梅雨を予感させる雨。沖縄・奄美に先駆けて九州北部では梅雨入り宣言があった。雨が多くなる前に夕焼けを楽しもう。

(街路を彩ったハナミズキも過去のものとなった。百花繚乱から) #夕焼け #楽しい #マジックアワー
思い出し笑う門にはしかめ去る [2025年05月16日(Fri)]

fumihouse-2025-05-16T18_04_23-1-thumbnail2.jpg思い出し笑いをしてしまうことがある。可愛げのあるニッコリならば問題ないが、ニタニタが続いたり、吹きだすようなことは困る。はた迷惑になる。平和な日常のひとつとして考えていいとは思うが、気をつけよう。

思い出ししかめっ面も困ったもんだ(こんな言葉は聞いたことはないが)。周囲の知り合いは、この人何を思っているんだろうか、自分に原因がありゃしないか、思い悩むかもしれない。赤の他人は不穏な空気を感じて一歩離れていくだろう。

何よりその人自身が奈落に落ちる。あの時ああすればよかった、なんであんなことしてしまったのか、上司から叱責された、あそこまで言うことないじゃないか、パラハラ野郎! なんていう負の感情が渦巻いているかもしれない。健康にいいはずがない。

そんな時は、口角広げ目尻を下げて、ニカッとしようじゃないか。まっそんな時もあった。忘れろ忘れろ(忘れることはできまいが)。少なくとも笑みを湛えればストレスは軽減する。

(夏椿(沙羅の樹)は微笑んでいる。さあさあ顔を顰めないでねと)
温かな語感目指して南かな [2025年05月15日(Thu)]

fumihouse-2025-05-15T19_18_07-1-thumbnail2.jpg全国の市町村で名前に「南」が付くものをGeminiくんに調べさせた。

南富良野町・南幌町(北海道)、南房総市(千葉)、南魚沼市(新潟)、阿南町(長野)、南知多町(愛知)、南伊勢町(三重)、南あわじ市(兵庫)、南アルプス市(山梨)、南砺波市(富山)、南さつま市(鹿児島)、南島原市(長崎)、河南町・南河内町(大阪)、南三陸町(宮城)、香南市(高知)、南阿蘇村(熊本)、南風原町(沖縄)

島根県の市町が出てこないので二回目を聞くと、南陽市(山形)、南会津町(福島)、南越前町(福井)、南足柄市(神奈川)、南伊豆町(静岡)、南丹市(京都)、南大東村(沖縄)を示してきた。

「まだ他にもありますが、とりあえずこれくらいでどうでしょうか?」、と少々ウンザリした様子を示す。島根がないよと伝えると、「ご指摘ありがとうございます。大変失礼いたしました。島根県で「南」がつく市町村はありません」と信念を持って答えやがる。この大嘘つきヤロウ。雲南市、飯南町、邑南町を忘れてくれるな! 意外と役に立たないやつだなぁ。

なぜ、南に注目したかというと、位置関係から言うと出雲の南だったり、島根のなかでも南のほうに位置するのは確かにある。それとは別に、歯切れよさや柔らかさを感じるのだ。「なん」は音節は2個だが、弾むもの言いとなる。「みなみ」にはiとaの心地よさがあり、何よりも温かく聞こえる。北や西、東に比べてもホントに語感が暖かいではないか。昭和や平成の合併にあたって多くの自治体が、「南」に心引かれたのではないかと想像したからだ。さあ真相は如何に?

(Gemini君、間違えてばかりだと、ネモフィラに笑われるよ)
ハッシュタグ使ってみれば如何ほどに [2025年05月14日(Wed)]

fumihouse-2025-05-14T18_25_36-1-thumbnail2.jpgハッシュタグ(#)の効果と意味が分からない、使ったことがない。それなりに効用があるようだ、なるほどね。

ハッシュタグとは、投稿のテーマやトピックを示す。例えば「#旅行」とか「#料理」。そして検索性を高める。ユーザーが投稿にアクセスしてくれる。共通の興味を持つ者同士がつながりやすくなる。人気の出たハッシュタグに便乗すれば、自分の投稿に目を留めてもらえる確率が高まる。いいね!やコメントが増える。うまくすればトレンドに乗れるわけだ。

過度に使用せよとGemini君は言う。多用しすぎるとスパムとみなされてしまう。ハッシュタグをうまく使うと、コミュニケーションやマーケティングに役に立つということだから閲覧数も増えるだろう。

そのためには、テーマに関連する人気のハッシュタグを調べるとか、埋もれにくく特定の層に刺さるものを選べと。急上昇しているハッシュタグを確認する習慣を持つといいらしいが、めんどうくさいなあ。まっとりあえず、今回から適当なハッシュタグを入れてみることにしようかね。

(フリージアは少々暑さを感じた今日は元気にハリのある姿を見せてくれてただろうか)
#検索性上昇 #毎日ブログ #ハッシュタグ効用
オサラバと捨てるはしから撮っていく [2025年05月13日(Tue)]

fumihouse-2025-05-13T07_01_29-1-thumbnail2.jpg捨てる、捨てる、写真を捨てる。スマホには写真がいっぱい。自ら撮ったものがほとんどだが、ほかにLINE経由、Messenger経由などでいっぱい。Googleのアカウント保存分も加えれば千枚近くに及ぶ。映像はほとんどないので、容量が限度に達することはないけれど収拾がつかない。どんどん捨てないと。

記録として残すために撮るものもあるが、ほとんどはブログやFacebookに載せるために撮る。いい構図を狙いすまして撮る。撮ったら縦4横3の割合にトリミングする。複数個あるが1枚に厳選する。惜しいけれども捨てる。SNSに使うのは一日1枚と決めているので、使い切れない。古いメモリにはいいやつが眠っていたりする。使うこともあるが、エイヤっと捨てる。一瞬惜しい、と、思うが捨てる、捨てる、写真捨てて軽くなる。

(吸い込まれそうな紅色のサツキ。樹形は卵型になるよう見事に整えられている。この写真ともこれでオサラバだ)
犬雉猿昔むかしの物語 [2025年05月12日(Mon)]

fumihouse-2025-05-12T07_40_01-1-thumbnail2.jpg『よりぬき日本の昔話_桃太郎ほか(小沢俊夫著)』は日本の昔話を原型に近い形で採録していて面白い。筋書きがマイルドになり過ぎた通常のものに比べて楽しめる。桃太郎を例に挙げる。

桃太郎は大食いだった。食べるほどに大きくなったけれども、怠け者だったので一切鍛錬はしていない。しかし突如思い立って、「おれは、これから鬼が島へ鬼退治にいく。きびだんごを食って、力をつけるんだ」と言い、ばさが作ってくれたきびだんごを腰につけて出かけた。

まずは犬と出会うが、その際の口上はこうだ。「これは日本一のきびだんご。一つ食えばうまいもの、二つ食えばにがいもの。三つ食えばからいもの。四つ食えば頭の鉢がばちになる」 

へーそうなんだ。犬は当然一つを所望してお供するのだが、なぜ味が変わるのか。そもそも力をつけるための団子なのに一個だけとは心もとない。それは昔話の不可解さ、面白さだろう。雉と猿が供となるのは順当で、鬼ヶ島で大暴れ。鬼たちから宝物を全部差し出された桃太郎は、家に持って帰り、それからは安楽に暮らしましたと。

えっ、鬼ヶ島の鬼たちは「村をあらしたり、子をさらったりするので、人びとはこまりはててい」たはずだ。元の持ち主に返してあげるのが温情ではないのかい? コンプライアンスの欠片もないねえ。昔話は不可解だ、そして面白い。

(コデマリの季節も終わった。ユキヤナギと間違いやすいが手毬風のふくらみが可愛らしい)
すべからく言葉正しく使うべし [2025年05月11日(Sun)]

fumihouse-2025-05-11T21_24_20-1-thumbnail2.jpg【すべからく】は、漢字で書くと【須らく】。決して「全からく」ではない。だのに「誰もがすべからく幸せになりたいと思っている」のように、全てとか、ことごとくの意味に使われることが多い。

元は「当然なすべきこと」「ぜひともそうすべきこと」という意味である。古文の助動詞「べし」を伴って「必ずすべき」という義務や当然の意味だったはずなのに、語感から異なる方向に向かってしまったようだ。

ただし辞書は言う。この使い方は、≪誤用といえるが、世間的な認識はこの誤用の方がむしろ一般的となりつつある≫(weblio国語辞典)

あっ、そうか。一般的とは恐れ入った。まっ、うるさいこと言わずに、これからはスルーしてしまおうっと。

(2025初めて出会ったシリーズ。西洋オダマキというこの花。爽やかな紫色だが、形は複雑で淫靡な感じがある)
駅ホーム忘れ去られて傘ひとつ [2025年05月10日(Sat)]

fumihouse-2025-05-10T19_13_05-1-thumbnail2.jpg松江駅のホーム待合に残された折りたたみ傘、女物だ。午後からの強い雨にカバンから出して職場から歩いて駅まで来たのか、それともバスに乗る前にさして、駅に駆け込み、設備トラブルで列車が止まり(事実わたしが乗る予定の列車は運休となった)、遅れやってきた列車に乗り込んだのか。そこで慌てて傘を持ち忘れたのかも。

ぽつねんとコンクリート床に置いてある傘ひとつ。雑に畳んだ傘ひとつ。忘れ去られて残念な傘ひとつ。やがて忘れ物として回収されて、おそらく持ち主不明のままJRが転売していくのか。持ち主に返ることはあるまいて。

わたしも何本も傘を置き忘れてきた。列車の手すりに掛けたまま、待合室に置いたまま(これは数時間後に気がついたので取り戻した)、どこかの会館の傘立て。傘は一番の忘れ物だと聞く。忘れないようにしないとね。

(紫露草の中に忘れるときっと紛れて見失う)
よーそろーリズム冴えナイスショット [2025年05月09日(Fri)]

fumihouse-2025-05-09T17_10_41-1-thumbnail2.jpgゴルフバッグと中身一式を処分しようと、リサイクルショップに持ち込んだ。アイアン8本(2番〜9番)、ウェッジ3本(ピッチング、サンド、アプローチウェッジ)、パター、ドライバー3本、3番ウッドと、余ったボール、グリーンフォーク、ボールマーカーに使ってきた外国コインである。

楽器(特にギター)やゲーム類はべらぼうにあるのに、スポーツ用品と銘打ってあるのにもかかわらず引き取り不能とはこれ如何に。目利きとなる人材がいないのか、スペースの問題か。

Geminiで調べたら『ゴルフエース』という千葉にある通販ショップを紹介してくれたので、直ちにネット注文した。2日後には収納用段ボールが届き、佐川急便に連絡して4連休初日に持ち出してもらった。古いバッグは引き取り不能につき、バラして不燃物として捨てた。連休明け査定がメールで届き5900円が振り込まれた。なんと手早くてお手軽なことか、感心した。

クラブ類だけで20万円以上。若い頃からゴルフに費やした経費と時間は膨大なものになる。それと別れを告げて物置も気持ちもスッキリした。もうクラブを握ることもあるまい。「ヨーソロー」と拍子をとって一打一打を刻んだ日々が懐かしい。

(ブタナが春の野を明るく染めている。くっきりスッキリした花である)
風薫る絢爛豪華春頂点 [2025年05月08日(Thu)]

fumihouse-2025-05-08T13_13_52-1-thumbnail2.jpg風薫る五月。桜花爛漫は春第二章(第一章はクロッカスの咲くころ)。その後の百花繚乱とともに木々が萌える。最も生命力に溢れた美しい季節。青緑系統、赤黄系統に心躍る。日向と花と若葉の匂いがする。そして風が薫る。単に鼻で感じる香りにとどまらず、肌に入ってくる春の薫り。躑躅が絢爛豪華に咲く。そこで春は完成する(わたしの中では)。

昨夜最寄り駅に降り立った夜8時、臭いが降ってきた。嫌うひともいるが、ハイターの臭いか、男の放つジェルの臭いに似ている。シイノキ系統の細かな花が咲いて、晴れた昼間には第二の新緑の趣である。春の輝きが頂点に達する。この春は去年のように暑くない。雨も適度で、実にいい春だ。

(今の季節、ツツジとは異なる紅色の色合い、トキワマンサク)
燦々と欣喜雀躍先を読む [2025年05月07日(Wed)]

fumihouse-2025-05-07T18_55_14-1-thumbnail2.jpgあさのあつこ著『燦』全8巻を読み終えた。主役である武と忍?に優れた燦、その双子の兄で剣の達人伊月、名君としての道を歩み始めた圭寿。若い三者が織りなすやりとりに欣喜雀躍、先に読み進めるのが待ち遠しい。1冊終わるごとに次へ次へと読みたくなる。

平易な言葉遣いでありながら、文学的素養にあふれた魅力的な表現。時代背景を活写し心理描写も深い。主役たち以外の登場人物の心理や葛藤も細かに描かれ、どのキャラクターにも愛着が湧く。おすすめの一冊(8冊だけど薄い文庫本)だと思う。読み終わってしまい、燦々(さんさん)たる三者の活躍が見られなくなって残念。

(元気印の黄のツツジ。江戸の後期にこんな色のものが有りや無しや)
幸せに見て穏やかに眠りつく [2025年05月06日(Tue)]

fumihouse-2025-05-06T22_53_46-1-thumbnail2.jpgNHK火曜ドラマ『しあわせは食べて寝て待て』を毎週、見ている。劇的なエピソードがあるわけではないが、登場する人びとの笑顔がいい。はにかみながら抑制の効いた笑顔で交流が続いていく。丁寧に食事をつくり、よく寝て、節度ある近所づきあいで笑顔を生んでいく。シーンごとにこちらも笑顔になる。少々つらいエピソードにも希望が持てる。ほっこりして目を閉じると、昼間の疲れにうたた寝したりするのが玉にキズだが、平和な気分で眠りにつくことが出来る。

(太陽に輝くガザニアほど眩しくない。それでも仄かな明るさで気持ちが穏やかになるドラマだ)
テッセンは鉄線でなしクレマチス [2025年05月05日(Mon)]

fumihouse-2025-05-05T20_52_07-1-thumbnail2.jpgよその庭先にクレマチスが咲いていた。「撮らせてくださいね」と草取りしていた女性に伝えると、「あっテッセンね、どうぞどうぞ」と。テッセンという名は初めて知ったのでGeminiで調べてみた。両者は少々異なるようだ。

テッセンは、クレマチス属の中の原種のひとつで中国原産らしい。花びら(実際は萼片)は白く6枚ある。つまりクレマチスはテッセンを大きく包含する多種多様な園芸品種ということだ。女性が教えてくれた「テッセン」は8枚の花弁があったから、正確に言えばテッセンではない。こういう記述があった。

「昔はクレマチス全般をテッセンと呼んでいた時代もあるため、年配の方の中にはクレマチスのことをテッセンと呼ぶ方もいらっしゃいます」

なるほど、彼女がテッセンと言った意味が分かった。高齢世代にはクレマチスよりテッセンが馴染みなんだな。勉強になった。
晴朗にギター漬けでも弾かぬ一日 [2025年05月04日(Sun)]

fumihouse-2025-05-18T19_57_54-1-thumbnail2.jpg山陰ギターコンクールの運営役員として松江・プラバホールに一日詰めた。明日も続いて、審査員の補佐役として審査票を用意したり、審査得点の集計、印刷でバタバタする。

きょうのコンクールはジュニア部門、シニア部門、シルバー部門で、明日は年齢を問わない中級と上級部門、プロの登竜門となるプロフェッショナル部門の予選と本選がある。昨年優勝者のゲスト演奏もある。聞き応えのある内容となるだろう。

わたしは審査員室から離れられないので、モニターで聴いている。マイクとスピーカーが良いので不満はないのだが、いかんせん臨場感がない。客席で目を凝らし、耳を澄まして聴きたいと思う。何よりも舞台で緊張感にまみれて演奏したい。来年は出場しよう。

審査員が講評で述べられた。「間違ったタイミングで正しい音を弾き直すより、正しいタイミングで誤った音を出すほうが、まだまし」だと。そうそう、間違えてもいい。堂々と揺るぎない音楽を奏でるために、「練習は本番、本番は練習」の覚悟で日々を積み重ねていこう。

(プラバホールに植わるナンジャモンジャの花が満開となった。ほのかに甘い香りが漂う。演奏者には花と匂いを愛でる余裕はないだろう)
清澄な空気感じて大型連休 [2025年05月03日(Sat)]

fumihouse-2025-05-03T10_31_23-1-thumbnail2.jpg四連休の始まり始まり。幸いに心地よい日だ。晴れて清涼な空気を感じる天気が続いてくれている(夜には雨らしいが)。たった4日ではあるが、解放された気分を満喫しようではないか。実はなかなか忙しくあるのだが、気持ちを羽ばたかせて、年間のうちでも最もうれしい季節を謳歌しようではないか。

(百花繚乱、春の完成形は香り立つツツジ。漢字で書くと「躑躅」でおどろおどろしいが、ピンクに白、紅色の群生が街と野山を彩る)
片思い世界を橋で結びあい [2025年05月02日(Fri)]

fumihouse-2025-05-02T16_54_11-1-thumbnail2.jpg映画『片思い世界』は究極の片思い。決して通じない片思い。姉妹ではない仲良しの3人が織り成す、可憐で不思議なファンタジーである。

広瀬すず(最年長)と杉咲花(真ん中)と清原果耶(最年小)が演ずる3人は、ある事情があって12年前から一緒に暮らし始めた。三者が10歳前後のことである。色合いやデザインがオシャレではあるが、華美でなく清楚で慎ましい。その抑制の効いたファッションを見ると、三者が丁寧に日々を生きる様子がうかがえる(杉咲花のファッションがわたしの好み)。

三者それぞれ、思い人に想いは届かない。それでも想いは届いた(かもしれない)。メタバース(かな?)世界でも僅かに開いた現世への扉。ファンタジーでなくとも、想いが届かないことは多い。言葉に表せなくて、あるいは表現が稚拙だったり、住む社会が異なったりして、理解し合えない。それでも諦めずに懸命に生きよ!と言われた気がした。

(初めて出会った花、チューリップ・フミリス。幼稚園児が描くチューリップのようだ。単純だが心引かれる意匠)
遺伝子と生活すべて親子なり [2025年05月01日(Thu)]

fumihouse-2025-05-01T08_05_56-1-thumbnail2.jpg親子とは似るもの。親同士の遺伝子がはんぶんこになって、ある面は母に似て、別は父そっくりで、形質や性格が似かよっていくもの。ジジババに似ていく場合ももちろんある。

DNAのせいだけではない。親子は日々を共にする。生活習慣、生活リズム、掛け合う言葉の数々、共通した体験で喜びを分かち合い、ときには憎しみを募らすことまである。ますます似ていく。遺伝子の為せるもの以上に親子は共通の土台に立っていく。不思議なるかな、親子というもの。

(三つ子のタンポポ綿毛。奥深い目に引き込まれていく)